理解することは理解されること
「多様性」という言葉がよく聞かれるようになった。
でも、言葉に出すのは簡単だけれど、「多様性」を理解し合い、「多様性」を受容し合い、「多様性」の中で、それぞれが「らしく」日々を過ごすことは難しい。
それでも、ボクは、「多様性」を意識したクラスづくりをしたいと思っている。
理由はいくつかあるけれど、ボクの初任校であった特別支援学校での経験も大きいし、パンクロックを通して知ったマイナリティの視点も大きい。もちろん「これから」の時代を見据えてのこともある。
では、具体的にどんな学級づくりをしているか。
いろいろ考えて、いろいろやっているが、毎日試行錯誤で、なかなか上手くいかないことが多い。
それでも、これだけは大事にしていることがある。それは、
理解することは理解されること
教室の中では、「多様性」を意識せざるを得ない場面がある。
その時、クラスのみんながその「多様性」を理解しようとしたら、子どもたちは、「もし自分に、そういう側面があっても、今みんながこうして理解しようとしているように、自分のことも理解してくれるのではないか」という安心感をもつのではないだろうか。
つまり、その「多様性」を理解することは、自分の中の「多様性」も理解されることにつながっていく。
子どもたちがそんなふうに思ってくれているといいなと思っている。
だから、「多様性」を意識したクラスづくりには、いろいろ考えるべきこと、やるべきことがあるだろうけれど、ボクは、まず「クラスのみんながその「多様性」を理解しよう」と思えることを大事にしたいと思う。
ただ、本当に難しい。だって、ボク自身が「多様性」と、なかなか向き合えていないのだから。でも、諦めない。考え続ける。
今日のアルバム。オリジナル盤と1998年のリマスターと、2009年のリマスターと3枚所持(苦笑)。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?