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美術芸術┃2024年8月16日の日記

・本日は友人と共にTate Modernの特別展示を見に行ってきた。ので写真を載せつつ感想をだらだら書きます。



・最近美術館に行く度に思うこと。もしもこの作品を違う額縁に入れて展示したとしたらその作品は全く別物と捉えても良いくらい違う作品になると思うけど、額縁って誰がどうやって選んでいるんだろう?もし自分が自分の作品を展示する際に額縁を選択する権利が無く、他人に全然想定と違う額縁を選ばれたとしたらめちゃくちゃ怒ると思うが、その問題は果たして回避されているのだろうか?他人の感性で額縁が選ばれているとしたら、その作品は絵を描いた者と額縁を選んだ者の共作になるのではないか?



・美術館に行く意義は、全く違う仕上げ方の作品に出会って自分の固定観念を粉々にする過程の中にあるのかもしれないと思う。例えば上のような作品を自分が描こうと思ったらこれを完成品と呼ぶ度胸は自分には絶対無い。女性のような造形の上半身の部分をもっと細かく描き込みたくなるだろうし、スカートのような部分もこんなに太い筆の線を残すのは怖い。でも自分以外の誰かはこれを完成品として提出していて、それで作品として成り立っている。マティスの作品の中でオレンジ色をボンと乗せてそれを金魚としているのを見た時も思ったけど「ここで止めるのも表現としてアリ」ということを知るのは自分が絵を描く際の姿勢を180度変えるものなんじゃないかと思う。



・細かいそれぞれの部分に関して「こうした」のか「こうなっちゃった」のか作者に聞きたい。



・鳥ってやっぱり可愛いなぁと思った作品。



・画面上部真ん中の部分が飛んでいくロケットに見えてその立体感がなんかかっこよくて好きだなと思った作品。友人に「ロケットみたい」と言ったら「スポットライトに見えた」と言われて「ベタな会話をしてしまった」と思った。



・虎。薄暗くて深い色を使っているのに温かみが滲み出ていて凄い。改めて、自分にはシマシマをいっぱい描き込まずにそれを虎と呼ぶ勇気が無い。



・好きだった作品。右側の緑の線の箇所を見ている時に手塚治虫の火の鳥に出てくる近未来のエスカレーターを彷彿とさせられて嬉しい気分になった。作品の全体像は現実世界で遭遇することのできない創作の賜物だけど、一部一部を切り取ると共感し得る現実的な風景の組み合わせなのかもしれないと思った。



・自分が習った「一点透視図法」「二点透視図法」といった奥行き表現の技工に全然則っていないように見えるのに何故か空間が生まれていてめちゃくちゃ変だった絵。そのことを考えていたら友人からまさに同じコメントが出てきて嬉しかった。



ピッッッツァ

・そんな感じでした。展示室のベンチに座って絵を描いている男性がいて「自分もそれやりたい!!!」と思った。彼は作品をじっと見てそこから得た着想で何かを描いていたようであったが、自分は展示を見に来た人たちの早描きをしたい。



・友人が韓国出身ということもあり「アジア全般における『完璧さ』への強い信仰心」の話をした。ミスの無い音楽や精密な絵画のように「何か一つの正しさに向かってプロフェッショナルとして完遂する執着心」がアジア文化全体に流れているのではないかという内容だ。それは世界中の人を魅了する高度なパフォーマンスを生み出す一方で、「外してしまう」プロセスの中でしか発生しない躍動感が生まれる可能性を削いでいるんじゃないかという話をした。話しながら、これは自分がイギリス(を含む日本国外の文化?)に強い憧れを抱いている中核の考えに関わる話かもしれないなと思った。



・遂にプレミアリーグ始まりました。初戦は静かにパブで観戦した。序盤の守り中心の盛り上がらない攻防を一人で熱心に見ていたおじさんが、終盤アツいシュートの打ち合いになった辺りで完全に携帯に集中し始めていて面白かった。ロンドンの逆張りおじさん。



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