凹ミ

「愚の骨頂の人生が最高だった」と思って死ぬための創作活動。民間信仰の実験場。あるいはま…

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「愚の骨頂の人生が最高だった」と思って死ぬための創作活動。民間信仰の実験場。あるいはまだ見ぬ理想郷への補陀落渡海 🔮http://gunohecomi.base.shop

最近の記事

「せっかく大学院出たのにその頭脳ら知識、学歴を生かす仕事をしていない」こと残念っぽくに言われることがあるけど。仕事=金稼ぎ。なぜ、せっかく得た知識、頭脳を金稼ぎに使う必要があるのだ???そんなのに使うために大学も院も行ってない。金を稼げること=最善みたいな考えは滅びてほしい…

    • 民間信仰の実験場。あるいはまだ見ぬ理想郷への補陀落渡海。

      わたしたちにとっては古典としか捉えられない過去でも、当時の人々にとっては最先端のリアルだった。それならいつか過去になる現在「これが最先端のリアルです」と言えるような仏教文化があってもいいのではないか、と思った。 たとえば観音菩薩の姿かたちが身近なものにアップデートされたら? それが頻繁に人の目につく場所で展開されるメディアとなったら? 現代という時代性を反映したミクスチャーカルチャーとして広がっていくのだろうか。 現代の日本に生きる多くの人たちは、信仰という行為にどこか

      • 「死んだら星になる」と「死んだら土に還る」という感覚の両方が共存してる気がするんだけどそれはなぜだろう。わたしは自分が死んだら土に還るほうがしっくりくる。もし日本で合法になったら、コンポスト葬希望(なるかな〜?) それはそうと星になるっていうのはどっから湧いて出た意識なんだろう。

        • りりちゃん氏に如意輪観音の片鱗を見出す試論とも呼べないなんか直感

          ※この記事は試運転中のFANBOXからの転載です 血の池地獄っていうのは、血の障りによって女だけが落とされる地獄だ。 血の障りっていうのは、生理の血とお産の血だ。 女が血で汚れた衣類を川で洗ったがため、下流の人はその汚れた水で茶を入れ、それを神仏に供えてしまい、すなわち女は神仏を穢したことになる…という理由で女は成仏できないと言われていたのだ。 ひどいよね。 時代が下り、あまりにもひどすぎる、って意見が出たのかどうかはわからないけど、紀伊国(現在の和歌山県と三重県の一部)

        「せっかく大学院出たのにその頭脳ら知識、学歴を生かす仕事をしていない」こと残念っぽくに言われることがあるけど。仕事=金稼ぎ。なぜ、せっかく得た知識、頭脳を金稼ぎに使う必要があるのだ???そんなのに使うために大学も院も行ってない。金を稼げること=最善みたいな考えは滅びてほしい…

        • 民間信仰の実験場。あるいはまだ見ぬ理想郷への補陀落渡海。

        • 「死んだら星になる」と「死んだら土に還る」という感覚の両方が共存してる気がするんだけどそれはなぜだろう。わたしは自分が死んだら土に還るほうがしっくりくる。もし日本で合法になったら、コンポスト葬希望(なるかな〜?) それはそうと星になるっていうのはどっから湧いて出た意識なんだろう。

        • りりちゃん氏に如意輪観音の片鱗を見出す試論とも呼べないなんか直感

          還る

          わたしにとって実家は基本的にいごこちが良い場所ですが これ以上なにも増えない これからただ減っていくだけの場所であると ひしひしと感じます。 大切なものが減っていくだけの場所。 そのような哀しみを田舎は常に湛えていると思います。 (だからこその執着というかふんばりを効かせて残そうとする意志も育つのかもしれませんがそれはまた別の機会に独立して記事にできればと思います) 痴呆症でいまは施設に入っている父方の祖母。 わたしの両親が定期的に面会に行っていて、その様子を記録した動

          海のむこうのはるか彼方

          地球が丸いとか、大陸が6個もあるんだとか、そんなこと誰も知らなかった時代。 海のむこうに浄土があるんだって想像することはべつにそんな不思議なことでもなかった気がする。 補陀落渡海は南の海の果てにあるとされた観音浄土を探す旅。 船の上にひとがひとり入れるくらいの小部屋を設け内側からは開けられないように外から釘を打ちつける。 小部屋の中にあるのは30日分の食糧とわずかなすきまから漏れてくる光。 たぶん五感が遮断されて第六感みたいなものと一切の浮世的な邪念を取り払った極限の状態に

          海のむこうのはるか彼方

          思い出だけが美しい人生なんてどうかしてる

          ガチャポン、お菓子のおまけ、ハッピーセットについてくるおもちゃ、縁日で買ってもらったがらくた、くじびきハズレ賞のペンダント、スタンプ倶楽部、ミニチュアの牛乳パックに入った消しゴム… なんか今考えたらぜんぶゴミなんだけど、その瞬間瞬間にそれらが放っていた輝きにまさるものってあるか?とおもう。 でもそれは瞬間の輝きだから、長続きしなくて結局捨てちゃった。 その懺悔として、瞬間の輝きを保存するような矛盾した作品を生み出したりもしてるのだけど。 今はもうほとんど手元になくなってし

          思い出だけが美しい人生なんてどうかしてる

          愚の骨頂

          note始めました。 実はべつのところで自分のつくったアイテム紹介のブログを書いてました。「こんにちは!」とか言って、けっこうよそゆきな感じで。 でもそうやってパッケージされた中途半端な販促めいた文章書くよりもっと純粋に表現することを楽しみたくて。楽しければ続くから。ちゃんと伝える訓練したいと思って。伝わってほしいから。 わたしは「愚の骨頂」という屋号で創作活動をしています、凹ミ(へこみ)と申します。 凹むことが多い人生だけどそれがわたしの活動の原動力となっているから

          愚の骨頂