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思い出だけが美しい人生なんてどうかしてる

ガチャポン、お菓子のおまけ、ハッピーセットについてくるおもちゃ、縁日で買ってもらったがらくた、くじびきハズレ賞のペンダント、スタンプ倶楽部、ミニチュアの牛乳パックに入った消しゴム…

なんか今考えたらぜんぶゴミなんだけど、その瞬間瞬間にそれらが放っていた輝きにまさるものってあるか?とおもう。

でもそれは瞬間の輝きだから、長続きしなくて結局捨てちゃった。
その懺悔として、瞬間の輝きを保存するような矛盾した作品を生み出したりもしてるのだけど。
今はもうほとんど手元になくなってしまった当時のがらくたたちが、ふいに記憶の中でよみがえり、思い出を一緒に連れてきてくれることがある。

小学3年生のとき、家族3人で住んでいた小さいアパートからあたらしい家に引っ越した。その家の隣にはおじいちゃんとおばあちゃんが住んでいた。

両親は共働きだったから夏休みはおばあちゃんちで過ごした。
でもおばあちゃんは美容師で自宅も兼ねてるお店に立っていつも忙しそうにしていたし、おじいちゃんは会社勤めしてたから、わたしひとりの時間が多かった。ひとりっ子だからひとり遊びには慣れてた。

おばあちゃんが読書好きで部屋には本がたくさんあった。ずらりと並んだ新潮文庫はどれも字が小さくてむずかしかったけど、『たけしくん、ハイ!』だけは絵入りで文章もやさしかったから、そればっかり読んでいた。

わくわくさんの番組を見て真似して工作もした。ティッシュの空き箱で人形の家をつくるのが好きで飽きずに何棟もつくった。

シルバニアの洋服をつくりたい!とわめいて、
針、針山、裁断ばさみ、糸数種、こばさみ等々を入れたヨックモックの缶がわたし専用の手芸箱になった。おばあちゃんかまきれいに見えるまつりぬいのやり方を教えてくれたのに、全然うまくできなくて結局自己流ででたらめに縫っていた。

『わかったさんのプリン』に載ってるレシピを見てプリンを作りたい!って言ったけどおばあちゃんちにも無論自分ちにも蒸し器が無くて、がっかりした。

まんが、童話絵本、ぬいぐるみ、ペーパーパペット、少女漫画のふろく、いとこが買ってもらってた幼年誌……
気に入ったもの、なんでも見よう見まねでつくってた。

そしておばあちゃんは、わたしのつくるものならなんでも褒めてくれた。

これを超える美しさってあるのかな?
これから生きてく中で出会えたりするんだろうか。
すっごい出会いたくて渇望してる自分がいて、でも出会るわけないって思ってる自分もいる。
ずっととらわれて、向き合って、懺悔して、会話して、幻影と一緒に歩みつづける人生な気がする。
本人にとっては極楽にいるかのごとくあたたかく感じるけれど、側から見ればもしかしたら地獄なのかもわからない。

令和、いろいろなんでもつくれる時代になった。一億総クリエイター時代。本当にすごい、いい時代だと思う。

おばあちゃんは愚の骨頂の活動のことを知らない。
わたしは一度も愚の骨頂の作品をおばあちゃんに見せることができなかった。そしてもう二度とおばあちゃんがわたしを褒めてくれることもない。それがずっと何年経ってもさびしいままだ。

(ずっと更新されない思い出のなかでいくつもの一瞬の輝きと輝きのあいだを往き来しつづける)

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