夏の思い出について(kenohiグループ展 7/9~7/27)
わたしが社会人になってから一緒に歩ませてもらっているような、仲間のような、喫茶食堂、kenohiで短歌を展示していただいています。
こちらはスピンオフストーリーのような、ライナーノーツのようなもの。
全部載せてるじゃないかい、といえばそうだけど、でもぜひ行ってみて、美味しいご飯をゆっくりと味わって、そして他の写真や絵の展示も一緒にぜひご覧ください。
目黒線武蔵小山駅!
Googleマップ~
2015-2023
完全な夏の作り方(2019)
スーパーカーと4本の弦
カルピスの中をからから泳いで
完全な夏。
そういったものがあるとしたらどうだろう。それは少なくともそれなりの喜びをくれることだろう、と思う。それと同時にその完全さを、もう何も超えることができない寂しさのようなものももたらすだろう。
完全な夏。
それは一体どういうものだろう?
桃のにおい(2023)
青空みあげて一緒に飲んでみたかった
クロノスタシスは桃のにおい
夏はビールを飲みたくなります。
青い空、広い海。たちならぶ山の間に分厚く層をなす白い雲。
燦々と燃える太陽。
そんな光景を眺めながら、ごくごくと飲みほしてみたい。
しかしアルコールが苦手なので、350mlの缶を買ってみても持て余してしまって、そのたびにああ子どもだなあと思う。毎年、今年の夏こそはお酒を飲んでみたい、と思う。
それは桃のにおいのする、なんだかみょうにきらきらとした夏だった。
花火の下にいた(2018 平成最後の夏)
たよりがないけど元気にしてる?
平成最後のまばゆい光
「平成最後の夏」をおぼえていますか。2018年の夏のことです。
もうあれからずいぶんと時間が経っていて、その夏に生まれた赤ん坊は小学校に入学しているし、記憶の彼方かもしれないけれど、たしかにそんな言葉がありました。
わたしの年代では「2018年の夏=学生最後の夏=平成最後の夏」を意味していたこともあってか、また年号の変わる瞬間に生きているのが初めてだったためか、周りでは「平成最後の夏に何をするべきか」「平成最後の夏に何も思い残したくない」などという議論が繰り広げられていた。と記憶している。
あの夏にひとつだけ、ひとつだけ、きっと忘れることができないだろうと思う夜を持っている。夏がくるたびに思いだす。
その子とは大学の新歓で出会って、1年間同じ部活に所属していた。わたしが部活をやめてからよく遊ぶようになって、大学時代の感情のほとんどを彼女と共有した。
その頃のわたしたちはとびきりに無知で、不満で、つまりいつも見えない何かを求めていた。でもそれが何だかさっぱり分からないものだから、とにかく会って話して、そしてお酒を飲んだり焼き鳥を食べたり映画を観たりカラオケで歌い明かしたり踊り狂ったりした。
そんな彼女と、恵比寿のタコ公園であそんだ夜のこと。
コンビニでお酒を買って、神宮の花火がみえないかなとタコに乗りこむ。目を凝らしてみても、耳を澄ませてみても、待てど暮らせどいつまでたっても花火の気配はしなかった。
わたしたちはあきらめて音楽を聴いたり歌をうたったりすることにした。
恵比寿の、知らず知らずにたどり着いたタコ公園。平成最後のあの夏の夜に、花火の下にいたこと、忘れないよ。
それから時が経って、いろいろな時代があって、わたしは職を変え、彼女は地元に帰った。わたしは燃えさかるように仕事に精を出し、彼女は学生で、電話をしてもあまり話すことがなくなった。
溝ができて、それはこちらから見ると深いように見えていて、でも対岸からはそう深くなかったみたいで、でも溝の深さをぽつりと言葉にしたとたん、まぼろしの溝が、ああなんと、完全に大陸を割ってしまった。LINEの既読はつかぬまま。
別にいいけどさ、でもわたしは懲りずに「若者のすべて」を今年もきっと聴くよ、元気でいてね。