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出産レポ

先日、娘が産まれた時のことをざっくり書いたが、今日は出産レポを書こうと思う。

きっと長くなるので時間に余裕があるときに読んでもらいたい。

…………回想…………

1月4日 新年最初の妊婦検診の日。(予定日6日前)

早朝にドン!という強い胎動で起きる。
『今日も元気だね〜』とお腹をさすりながらトイレに行くと、おしるしが出ていることを確認する。

【いよいよだなぁ…】と二度寝する。

朝8時に再び起きる。
餅なしのお雑煮を食べながら、早朝のあれ以来、強い胎動が少ないことが気になりはじめる。
数日前にTwitterで38週で死産を経験した妊婦さんのツイートを読んだせいかなと思う。

検診の予約は午後。
夫と検診の帰りに買い出しをして、何か美味しい物を食べながらイッテンヨン(新日本プロレスのお正月興行)を楽しもうとしていたのた。

しかし、嫌な予感がして10時頃に産院に電話をかけた。
『いちおうすぐに受診して下さい』と言われたので午前中に受診することにした。

夫の送迎で11時に産院に着いて、NSTをすると胎動はあるが弱いとのこと。
予定日より5日早いけど明日、促進剤で分娩しましょう!即入院ね!と言われる。

私はなんとなく覚悟していたが、駐車場で待つ夫に電話するとめちゃめちゃ驚かれる。
急いで入院バッグなどを届けてもらって入院。

その日は初期の妊娠悪阻の妊婦さんと同じ部屋に入院する。
21時から絶飲食と言われたので夕食後のNSTまでの時間に自販機でアイスを買って1人静かにはしゃぐ。

夜は同室の妊婦さんが悪阻でトイレに篭もるのを感じながら、緊張とワクワクとベッドの硬さであまり眠れなかった。

1月5日 促進剤1日目。

寝不足の身体をひきずってシャワーを浴びる。

分娩後は個室に移る予定なので、荷物をまとめてLDRへ。
朝ごはんもなくお腹がすく。
お昼の献立が『ミートソーススパゲッティ』ということをシャワーを浴びたときに確認していたため、内心『お昼までに産めばミートソース食べれるかも?!』と甘い考えを抱く。

朝8時前にLDRに夫が現れた。
仕事初めになるはずだったのに早退してきてくれた。
私よりも緊張していて和んだ。

朝8時半ぐらいから、バルーンを入れて、促進剤の点滴がはじまる。

直ぐに効いてきたのか10分おきに陣痛が来る。
うおー!これが陣痛か!!とのたうち回る。
正午にはバルーンが外れるが、子宮口の開きが悪い。

結局、その日は子宮口5cmまで開いたところで夕方を迎えたため、点滴をやめる。
点滴をやめた途端に陣痛が遠のくが、痛いもんは痛い。

その日はLDRに泊まった。
晩ごはんを食べながら、お昼のミートソーススパゲッティを食べ損ねたことが無性に悲しくなってわんわん泣いた。
下膳に来てくれた助産師さんを驚かせる。と同時に笑われる。

そこから一晩中弱い陣痛が来ていて、NSTをしながら眠る。
薄明るくてかすかにヒーリングミュージックが流れる部屋で眠れるわけなかろうが!!!

しかし、さすがに前日も寝不足だったためが、LDRの分娩台にもなるベッドの硬さによる腰痛と陣痛の合間に気絶するように、短時間だけ眠る。

お隣のLDRから絶叫が聞こえてくる。

1月6日 促進剤2日目。

朝3時になって陣痛の間隔が規則的になったように感じる。
お隣はいつの間にか絶叫から産声に変わっていた。
どうやら経産婦さんがスピード出産をキメたらしい。

朝7時、再び夫が来る。
子宮口は6cm。院長先生曰く、うまく行けば午前中に生まれるかな〜と点滴スタート。

そこから5分、3分、1分とどんどん陣痛の間隔が短くなる。LDRをウロウロしたり、スクワットしたり、うつ伏せで乗る椅子でユラユラして子宮口が開くように動きまわる。
陣痛のたびに夫に腰を押してもらう。夫は手が死亡する。

気付けば11時半頃になった。
主治医のEXILE(にいそうなヤンチャ系の若い)先生が珍しく真顔で『赤ちゃんの心拍が少し落ちてるから12時になって子宮口が開いてなかったら帝王切開しましょう!』と言い出す。

あまりの痛みに『赤ちゃんが無事に生まれてくる方法なら先生にお任せします!』と叫ぶ。

12時、どうやら子宮口が全開らしい。
EXILE先生は『このまま下から産みましょう!30分以内に産もう!』と元気良く言う。
ついにいきむことが出来るらしく、LDRのベッドが変形して分娩台に変わる。
分娩台に上がると、EXILE先生が強制的に破水させてくれたらしく、お湯が溢れてくる感覚がすごかった。

しかしこれからいきもう!という時になって、隣の隣のLDRの妊婦さんも同じタイミングで産まれそうになってるらしく、にわかに周囲があわただしくなる。

お隣のお隣から『赤ちゃん心拍落ちてますー!!』と聞こえてくると、私のLDRにいた先生と助産師さん達がみんないなくなった。

きっと数秒間だったと思うが、夫とLDRで2人きりになった瞬間があって、絶望を感じた。

EXILE先生と助産師さんが戻ってきてくれて、そこから数回いきんだが、どうやら我が娘は頭が大きく、なかなか出てこない。
お昼ということもあり、外来が終わった他の先生方が集まり、吸引分娩しながら、上からお腹を押しますと言ってきた。

最初はEXILE先生が上から押して、吸引は女医さんが行っていたが、女医さんが隣の隣に呼ばれた。
次のタイミング時に、ふらっと現れた院長先生がお腹を押してくれたが、どうにもタイミングが合わなかった。
院長先生に『お母さん頑張ってよー!』と言われたが、『いや先生ぇ…』と内心思っていた。 

赤ちゃんが下がってくる感覚が、排便の感覚に似ていて、常に助産師さんに『うんちが出そうです!』と何度も訴えていたが、助産師さんは冷静に『それはうんちじゃありません。赤ちゃんですよ〜』と何度も言われた。
陣痛の波が来るたびに『あ!うんち出ます!うんち〜!』と叫んでいた。

尋常じゃない圧でお腹を押されて、骨盤とお股がメリメリ言った。
何回かいきんだ後、ズルン!という感覚と共に何かが出た。
『おめでとうございまーす!!!』

何だか放心状態だった。

ほんの数十秒だったけど、娘が産声を上げるまでに時間がかかった。
夫と『え…お願い泣いてよ』と顔を見合わせた瞬間に産声が聞こえてきたのを覚えている。

その間に後産やらの処置が続いていた。
どうやら出血が止まらないらしく、冷や汗が出る。
助産師さんが急いで点滴をしてくれたが、冷や汗が止まらなかった。
暫くしてカンガルーケアのため、娘が登場する。
私の胸の上に乗せられた娘はとても暖かく、思っていた以上に大きく感じた。
『呼吸が少し浅いから赤ちゃんに酸素送りながらカンガルーケアしてもらいますね』と酸素マスクを少し離して娘に当てていた。

その間のお裾の処置が怒りに変わるほど痛かった。

お裾を縫われながら、10分ほどだろうか、写真を撮ったり、夫と2人で娘をナデナデした。
やはり娘の呼吸が早く浅いということですぐに小児科の先生のところに戻っていった。

そこから1時間くらいだろうか、LDRで休んでいると、小児科の先生と看護師さんがやってきて『娘さんのSpO2が思うように上がらないのでNICUのある病院に転院させようと思います』と言われた。

この時ばかりは、医療従事者の端くれのクセに先生の言葉を理解するまでに時間がかかった。

しかし、あれよあれよと娘は転院していった。
出血が多い私はLDRから動けず、保育器のまま転院していく娘をチラ見することしかできなかった。
入院手続きのため、夫も救急車を追いかけて転院先の病院に向かった。

そのままLDRで夜を迎えた。
何とか身体を起こして夕食を摂ったが、娘が側にいないということが理解出来ずに呆然としていた。

夕食後、次はひたすら涙が出た。
夜勤の助産師さんが相当びっくりしたらしく、若い子から急にベテランの助産師さんに変わった。

ベテランの助産師さんは『これから病室に移動して休んでもらうけど、夜中から搾乳するよ!泣いてたら水分もったいないよ!赤ちゃんのために母乳に変えないと!』と強く肩を叩かれた。

気がつけば夜8時を過ぎていて、LDRから病室に移動する前に夫が転院先の病院から戻ってきた。
NICUに移動して、治療をしてもらって病状説明までにすごく待ったそうだ。
娘の診断名は『新生児一過性多呼吸』『新生児遷延性高血圧』だった。

ICUで勤務していた経験もあり、医療従事者ではない夫の説明も何となく理解が出来た。
どうやら保育器に入って、人工呼吸器管理をしているようだ。
夫の説明を一緒に聞いていた小児科の先生が『明日、お母さんの体調が良ければ、外出して娘さんの面会に行って下さい!』と言い出した。

【え?!産後1日目に病院の外に出ていいの?】
と困惑した。
もちろんすぐにでも娘のところに行きたかった。

出産時に1L近く出血した私の外出許可は、明日の採血の結果次第になった。

2日間という長丁場を頑張ってくれた夫を労い、また明日!と別れて、病室まで移動した。
グラグラになった骨盤と体中の痛みと貧血のフラフラで、点滴棒にしがみつくようにして歩いた。

次は私と娘の入院生活編をば。

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