一年後も家族でいよう。産後の暗黒期、それから。
トンネルを向けたら、違う景色が広がっている、と信じていた時があった。
産後、私は長いトンネルの中に迷い込んでいた。結婚した時は広々とした草原にいたはずなのに、いつの間にか鬱蒼とした茂みに迷い込み、気が付いた時には暗闇の中に佇んでいた。思うようにならない産後の体。細切れの睡眠。赤子の泣き声。閉ざされた仕事やキャリアの道。夫への負の感情。おおよそ一人では抱え切れないものが、てんでバラバラに散らばっていた。
長くて暗いトンネルを一人で歩く。いつになったら抜け出せるのかわからない。それでも、その場に留まるよりはマシだと信じて、ひたすら前へ前へと進む。
暗黒期を自覚してから、一年が経った。
長くて短い一年だった。山のように大変なことがあった。苦しいことも、悔やんだこともあった。それでも私はまだ、夫の妻として、息子の母として、ひとりの人間として、一年前と同じ場所に留まっている。
復帰してからの一年。主に辛かったことは二つあった。一つは、夫に対して「妻」としての感情が抱けないこと。もう一つは、自宅が「戦う場所」だったこと。
私は今もこの場所にいるのは、その辛さに自分なりの決着をつけられたからなのかもしれない。
「夫」を「夫」として見られないまま、夫婦を続けられるのか。
この一年、何度も「離婚」という言葉が頭をよぎった。それは「夫を嫌いになった」というよりも「夫に対して何の感情も湧かない自分が、婚姻関係を続けていて良いのだろうか」という葛藤だった。
出産してしばらくの間、夫は育児や家庭に対する当事者意識が乏しかった。そのことに悩み、過酷な新生児育児にすっかり滅入っていた私は、いつしか夫になんの感情も抱かなくなっていた。それは夫が育児を積極的にし始めてからも変わらなかった。息子の父親としって頼りがいのある存在ではあったけれど、それ以上でもそれ以下でもなかった。夕食後に一緒に洗濯物を干しながら「今この人と出会っても、好きになることはないだろうな」と確信してしまうほどだった。
男女としての感情は抱かなくなったにせよ、夫に対して「誠意」や「感謝」は持っていた。息子が生まれて、散々の話し合いを経て、夫は積極的に家事育児に取り組んでくれる。その事には有り難く、頼もしく感じていた。
それでも、私は夫への「怒り」を手放せないままだった。
「怒り」を捨て去れないまま、夫婦として続けていけるのだろうか。「ありがとう」と「許さない」という相反する感情を抱えて、どうやって夫と向き合ったらよいのだろうかと。
婚姻関係を続ける意味を見出せないまま、私は職場に復帰した。
復帰後も、夫は頑張っていた。毎日、保育園へ息子を送り、週に一日は定時で息子を迎えに行き、そのまま食事とお風呂と寝かしつけまでする。以前よりも早く帰宅し、疲れた私に代わって息子の相手をしてくれる。周囲にも「いい旦那さんだね」と繰り返し言われたし、実際、その通りだった。
それでも、些細な瞬間に危機は訪れた。
息子の発熱で、保育園からの呼び出し。夫は当直で前日から不在で、完全にワンオペの状態だった。一時間も勤務できずに早退し、息子とまた二人きり。疲れて、腕が痛くて、ろくに息子を抱っこできず、抱っこされない息子は延々と泣き続けた。夫が帰宅するまで12時間。どこにも行けず、もう無理だと思いながら、ひたすら泣いていたこともあった。
息子のぐずりが酷くなった時も大変だった。とにかく一日中抱っこをしないとダメで、抱っこをしながらご飯を用意し、食べさせ、お風呂に入れていた。帰宅してから数時間、飲まず食わずでトイレにも行けないような日々。夫が帰ってくるのは大抵、寝かしつけが終わって少し経った頃。「ぐずって何も食べられなかった」と言う私に、四日連続で「何か食べるものある?」と無邪気に尋ねた夫に、キレた。
某タイツメーカーの件でも議論になった。「イラストが間違っているとは言わないけれど、公式アカウントが掲載して良い内容ではなかった」と言う私に対して、夫は真っ向から反論した。あのイラストより刺激的なパッケージはたくさんあるにも関わらず、あのイラストだけがここまで反対されるのか分からない、と。議論は最後まで平行線を辿り、最終的には「互いに違う意見を尊重しましょう」となって、終わりになった。
この件に、私はかなりショックを受けた。意見に同意はしなくても良いが、せめて感情寄り添って欲しかった。「これが嫌だ、悲しい」という感情を、ただ受け止めてほしかったのに、それすら難しいのかと悲しかった。そんな相手と、一つ屋根の下で暮らすことに、息苦しささえ感じてしまった。
夫婦とは、家族とは何か。当時の私は、心の底から夫を信頼できずにいた。共に生活を送り、それなりに役割分担や助け合いが出来ているにも関わらず、最後の最後で「この人は私を助けてくれる」と信じきれなかった。「今ではなくとも、いつか離婚するだろう」という予感が頭に浮かんでは消えた。
「くつろげる家」という場所が欲しかった。
私にとって「家」や「家庭」、あるいは「家族」は、戦う場所だった。
小さな子供と不安定な自分を抱えて戦う、戦場。家に戻ってから勝負は本番で。家のドアを開ける時、無意識に歯を食いしばる癖がついた。育児の苦しさや、家事の大変さや、心身の辛さ、あるいは夫婦関係の齟齬。
「家」の中には解決すべき問題が山積みで、それを自分一人で対処しなければならないことが多かった。どれだけ疲れていても、自分を助けられるのは自分だけ。自分で食事を用意し、自分で生活を設計し、自分でキャリアを組み立てる。そのために時間や気力や体力を削る毎日。一人きりで「家」を支えなければならないような感覚に、何度も苛まれた。
週末は家でくつろぐ、という当たり前のことが、妊娠出産してから叶わなくなった。むしろ同僚や先輩のいる職場の方がよほど、自分が守られているように感じた。
「夫」としてではなく、「一人の人間」として好意を持つ。
夫婦関係や家庭のあり方について迷走しつつも、昨年の秋頃、ある結論に至った。
その一つが、「『夫婦』としてではなく、『人』としていい関係を築けたら、それで良しとしよう」というものだ。
今の私は「恋愛」や「情愛」の類がすっぽり抜け落ちてしまっていて、夫に「夫」としての感情を抱くのは難しい。だが「人」として捉えると、夫はこれ以上ないほど「いい人」なのだ。真面目で誠実。息子を可愛がり、叱るべき時はちゃんと叱る。ご飯を用意し、食べさせ、食べこぼしを片付ける。おむつも替えるし、お風呂にも入れる。口うるさい妻にも静かにじっと向き合う。
客観的に見れば見るほど、夫はとても「良い父」であり「良い夫」であり「良い人」だった。だからもう、それで良いのだと開き直ることにした。
自分と夫との関係は、以前の形には戻らないかもしれない。それでも構わない。「妻と夫」でなくとも「女と男」でなくともいい。「人と人」として協力しながら生きていければそれで良い。理解できないことも、相容れないこともあるが、それはそれとして尊重する。
自分が夫の妻として不適格か否かを考えるのは、辞めた。少なくとも私は、夫の人柄と協力に感謝し、頼りにしている。だから、それでいいのだと。
「家に帰れば助けてもらえる」と、信じられた日。
昨年の冬のことだった。ある日、寝かしつけで息子と一緒に寝入ってしまったことがあった。うとうとする頭で「明日のご飯が炊けていない」と考えていたが、結局起き上がることはできず、そのまま朝を迎えた。
翌朝、私が見つけたのは、きれいに片付けられた台所と炊き立てのご飯だった。驚く私に、夫は「ふふっ」と笑っていた。
これが、とんでもなく嬉しかった。
料理はほとんどしない夫が、ご飯を炊いていてくれた。夜遅くに帰宅し、炊飯器の中を確認し、明日きっと必要だろうとお米を測って炊飯器のタイマーを押してくれた。自分で動かなければ、あるいは自分で指示したり仕組みを整えなければ、家のことは進んで行かない。その思い込みが、大きく揺さぶられた。
出産してすぐの頃、夫に怒ったことがある。それは些細なことで、珍しく早く帰宅した夫が、寝かしつけを終えた私に「じゃあ、料理する?」と尋ねた、ただそれだけのことだった。
断っておくが、夫に悪意はまったくなかった。妻が戻ってくるのを待って、料理をしよう言った。ただそれだけ。だが、私の中に一気に不満が込み上げた。寝かしつけをする前に、あなたは家に帰っていた。私が飲まず食わずで寝かしつけをしていた間、あなたは自由に過ごすことができた。なのにどうして、私が今から料理をしないといけないのか。あなたは、一人でのんびりと椅子に座っていたというのに。
それがあったから、夫がご飯を炊いてくれたことが、たまらなく嬉しかった。自分が頑張らなくとも、家のことをやってくれる人がいる。そう、初めて実感することができた。
さらに、つい先月のこと。持病の偏頭痛の悪化で、毎週のように発作を起こしていた時期があった。痛みで身動きが取れず、家事育児なんてとても出来ない日々が続いた。その間、私の代わりに家庭を回してくれたのは、夫だった。
仕事を定時で切り上げ、帰宅し、息子の面倒をすべて見てくれた。食事、お風呂、寝かしつけ。さらには洗濯、食洗機、炊飯、保育園準備など。平日の夜。それらを一人でこなすのはとても大変だっただろう。にも関わらず、夫は黙々とやり通してくれていた。翌日の勤務を確認して、労ってもくれた。
その時、私は「大丈夫だ」と心の底から安心できた。「家」が「戦場」ではなく、「誰かに助けてもらえる場所」になった瞬間だった。
夫の頑張りを受け入れるには、時間がかかる。
この一年で夫は「ただの夫」から「頼れる夫」になっていた。それは他でもなく、夫自身の努力の賜物だった。
それでも、私は夫の頑張りを素直に受け入れられなかったし、そんな自分が嫌いだった。
育児をする夫に対して、「なんでもっと早くにやってくれなかったんだろう」とか「一番辛い部分を経験せずに、良いとこ取りばかりして」としみったれた感情を抱く自分が嫌だった。いつまでも「あの時はああだった」「この時はああだった」と昔の話を思い返しては、自己嫌悪に駆られていた。
それがようやく、夫の頑張りを素直に受け入れられるようになった。
夫に対して、ただただ純粋に「ありがとう」を言えるようになった。思うことがあっても、自分の感情も含めて、冷静に思いを伝えることができた。妊娠中や産後の嫌なことを思い返すことも減った。
夫の努力も、自分自身の努力もあった。だが何より、「時間」が必要だったのだ。育休一年、職場復帰してさらに一年。気持ちの整理をつけるには、思った以上に長い時間が必要だった。
暗黒期はトンネルではなく、鬱蒼とした雨雲だったのかもしれない。
暗黒期はトンネルのようなものだと思っていた。だから賢明に前へ進み続けていれば、いつか抜け出せるものだと信じていた。
だが実際は、そうではなかったように思う。
暗黒期は、鬱蒼と陰る雨雲だった。いつの間にか現れ、冷たい雨を降らせていく。雨がいつ止むのか、どうやって止むのかは誰もわからない。突然の雨に驚きながら、どうやってやり過ごそうかを必死に考えた。傘を手に入れたり、カッパを羽織ったり。時には雨雲に向かって叫ぶこともあるし、疲れて諦めてしまうこともあった。束の間の晴れ間に喜び、かと思えば一気に暗転する空模様に肩を落とす。誰かと手を取ったり、励ましあったり、口論をしながら、ゆっくり道を探して前へと進む。
いつ止むのかわからない雨を、それでもなんとか凌げるようになった頃、雨は小降りになり、雲の隙間から陽の光が差し込み、雨雲が晴れ、はじめて空の青さを仰ぎ見る。
今、私の頭上に雨は降っていない。家庭は「戦う場所」から「安らげる場所」になり、いつか離婚するかもしれないと考えていた夫とは「いい関係を築きたい」とまで思えるようになった。
それでもまた、同じように暗黒期に陥るかもしれない。暗黒期は雨雲のようなものだから、逃げようとしても逃げられない瞬間はある。一度の暗黒期を抜けたからといって、一生めでたしめでたしとは行かないかもしれない。
それでも、陰鬱とした気分に苛まれていた頃を思い出すと、今はずいぶんと、楽になったようにと感じる。
一年前。私はこのまま家族を続ける自信がなかった。
だが今は違う。夫と息子と三人で、家族のままでいたい。家族で居続けるために努力をしたい。家族が受け入れてくれる限り、この家族のために頑張って生きていきたい。
一年後も家族でいるために。
一年後もまた、そう思えるように。
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