産前に話し合いができなかったのはなぜか
少し前に、産後のことで質問を受けた。「産後の暗黒期は、事前の話し合いなどで避けることはできなかったのでしょうか」と。
それとほぼ同じタイミングで、Twitterでも似たようなコメントをいただいた。その時に徒然と考えたことを、書き留めておこうと思う。
結論から言うと「産前に、産後やこれからのことについて話し合っておくことは望ましい。しかし、産後に起こりうるすべての状況を想定することは困難であり、心身ともに話し合いができる状態ではないかもしれない。夫婦間の議題や問題は絶えず変化するため、一度の話し合いでOKではなく、何度も必要だと考えておくほうが良い」となる。
事前の話し合いは、できるならやったほうがいい。ろくに話し合いもせずに暗黒期に突入した身とすれば、出産前にできることがあればやっておきたかった。好き好んで暗黒期にどっぷり浸かったわけではない。しかし一方で、妊娠、出産、育児という不確実性の塊を前にして、事前にすべての事態を把握することは不可能だ。状況はつねに変化するし、親もつねに万全ではない。
私は産前、夫と産後についての話し合いをほとんどしていなかった。その理由を考えると、大きく4つあった。
1)育児が未知数すぎた
2)妊娠中の体調が悪すぎた
3)夫は仕事、妻は育児の思い込み
4)妊娠中にネガティブなことを考えたくない
育児が未知数すぎて、起ることを想定しきれなかった
育児は想定外の連続だった。子育ては大変だと聞いていたし、産後うつで亡くなるお母さんがいることも知っていた。育児は辛さや苦しさを伴うと知っていた。知ってはいたが、それが具体的にどんなものか、どんなふうに自分を追い詰めていくのかはを想像はできなかった。解像度が低い理解だった。
人間、経験したことでないと理解するのは難しい。想像力は経験を超えるというが、限界がある。経験していないことを実感を持って理解できるほど、人間の想像力は優れていない。
私の母は「楽しい子育てだった」以外の言葉を発しなかった。周囲に産後うつになった人も、子どもを手放した人も、表面上はいなかった。
しばしば「赤ちゃんは3時間おきに起きるとは知っていたけど、3時間も眠れないとは思ってなかった」という呟きがなされるのも、無理はないことだ。3時間おきにミルクや母乳をあげるとは聞いていた。けれど3時間も寝ない赤ちゃんもいるし、寝かしつけに1時間以上かかる赤ちゃんもいる。育児経験のない人間が、そこまで想定するのは難しい。
さらに言えば、育児の辛さを訴えても、それを軽視してしまう風潮がある。これも育児の生々しい部分を隠してしまう。辛くてもみんななんとかやっている、お母さんは眠れないものといった外野の意見。「子育てがつらい」なんて呟こうものなら「自分で決めて生んだんだろう」とか「子供が可愛くないのか」なんていう心無い石も飛んでくる。そんな中、初産の人間が、簡単にリアルな育児にたどり着けるだろうか。起こりうる課題に具体的な解決策を用意することができるだろうか。
Twitterを見たらいくらでも育児が大変って書いてあるだろう。そんなことも調べなかったのかという意見もあった。それも正解だと思う。ブログやインスタグラムが比較的「育児は大変だけど楽しい♪」といったポジティブな内容で締め括られるのに対して、Twitterは比較的リアルで、ネガティブな意見も書かれている。しかし「育児情報をTwitterで調べる」という発想そのものが、初産の人間に思いつけるだろうか。かれこれ10年以上Twitterに生息しているが、出産してしばらくするまで、これほどまでに育児や生活の情報が溢れているとは知らなかった。情報は、探せばある。しかし、探し方や探す場所がわからない、そこに情報があると知らない人間にとっては、ないも同じだ。むしろTwitterではなく、母子手帳や産婦人科、妊婦健診など、大多数の妊婦が必ずアクセスする場所での情報提供がますます必要ではないか。
事前にどれだけ解像度を高く育児を捉えていたとしても、新生児の儚さや弱々しさ、命に対する責任の重さというのは、実際に感じてみないとわからない。赤ちゃんは容易に命をおとす。子どもの行動は読めない。どれだけ注意を払っていても、ただそこにいるだけで保護者は落ち着かない。どれだけ自分が眠たくても、疲れていても、一つ間違えたら簡単に死んでしまう。そんな弱々しい命が自分の手の中にある感覚は、言葉に言い表せない重圧がある。
病院で新生児を見るのはNICUのスタッフたちだ。彼らは24時間365日体制で新生児を守る。小さな命が健やかに生きられるように、体温に気を配り、食事の量を調整し、排便の状態を確認する。私は新生児育児が始まってすぐ、「自分は24時間365日体制のNICUのナースになったのだ」と察した。ふと判断を誤れば簡単に命を落としてしまう新生児、乳児を前にして「なんとかこの子を生かさなければならない」プレッシャーは半端ない。その重責を産前に想定するのは困難だ。
妊娠中の体調が悪すぎて話し合いどころではなかった
2つ目は、圧倒的な体調不良だ。
私は妊娠5週から20週までつわりがあった。慢性的な吐き気や疲労感。起きているのが苦しくて、できればずっと横になっていたかった。20週を過ぎて少し楽になったかもしれないと思ったが、25週を過ぎる頃から強烈な眠気、動悸、息切れが始まった。階段を登っていたり、車を運転していて気が遠くなったこともあった。毎日毎日、起きて仕事をするのも辛く、この辛さがいつまで続くのかと、そればかりが気になっていた。
さらに、妊娠中は味覚の変化に苦しんだ。食べないと気持ち悪いのに、食べたらまずい。特に飲み物が受け付けなくなったのは困った。妊婦はただでさえ脱水になりやすい。こまめに水分を摂取したほうがいいけれど、飲めるものがない。お茶はダメ、炭酸水はダメ、ゼロカロリーもダメ。ジュースや等入り飲料は太るからそんなにたくさん飲めない。真冬で寒さに凍えながら、氷水を少しずつ摂取したこともあった。寒い部屋で、氷水を飲んでいる自分は一体なにをしているんだろうと惨めになったこともあった。
休職や有給といった手段があったかもしれない。だが、当時はそれを選択しなかった。妊娠初期の妊婦健診は4週間に一度。つわりが辛くても、次の受診までは随分と日があった。受診をしても、私は食べづわりで体重は減っていなかったため、「辛いんです」と伝えても「体重は増えているから大丈夫ね」と言われておしまいだった。つわりはみんな経験するもの、みんな乗り越えているものと思い込んでもいた。これに耐えられないなんて、すでに母親として失格なのではないか、劣っているのではないかと自尊心ばかりが削られた。
妊娠中に仕事を休むことにも申し訳なさが募った。「妊娠しました。ご迷惑をおかけします」と続けていた仕事だった。体調が悪くて休むことになったら、給料はどうなるのか、職場での評価はどうなるだろうかと不安だった。「妊娠したら女は使えない」と思われるのが怖かった。
後述するが、当時、私の職場で「子育てをしながら働いていた女医」の労働環境は複雑だった。仕事は休めるし融通は効く。だが給料はそれまでの4分の1から5分の1。仕事内容は変わらないし、勤務時間もそれまでの半分から6割程度だったというのに。
とにかく体調が悪かった。立って、歩いて、仕事をして。心身ともにギリギリだった。それでも給与や医療の関わり、劣等感、妊娠していることで「使えないやつ」と職場からレッテルを貼られることの恐怖心があった。
そんな状態でも、出産の準備をしなければならない。哺乳瓶は何がいいか、お尻拭きウォーマーはいるのか。ベビーカーやチャイルドシートはどのメーカーがいいのか。一つ一つを決断しなければならなかった。夫は「好きにしていいよ」と言う人だったので、候補選びから注文まで、ほぼ私の仕事だった。
仕事、家事、そして出産準備。
産後の不安がなかったわけではない。育児や仕事復帰の見通しを立てたいと思わなかったわけではない。しかし、当時の私は物を揃えるのが精一杯だった。産後に起こりうることを書き出し、議題をあげ、夫と時間をかけて話し合いをする余力はなかった。もしも夫が問題提起をしてくれれば、自分も育児をするのだと当事者意識を持ってくれていたら、先のことを考えられたかもしれない。話し合いができたかもしれない。しかし、心身ともにギリギリの状態で、私が先導して話し合いを一から行うには、あまりにも負担が大きすぎた。
夫は仕事、妻は育児をするものと思い込んでいた
今でこそ、育児は夫婦でするものと当たり前のように考えている。しかし、妊娠した時はそうではなかった。
私の職場でも子育て中のママさん女医が複数名いたが、いずれも時短で家事育児をメインに担っていた。労働時間はこれまでの半分程度、給与はそれまでの4分の1から5分の1。でもママさんだから仕方がない、母親だから仕方がないと、周囲は見ていた。子供のために仕事を休む女性はいても、保育園の呼び出しで早退する男性はいなかった。
性別で仕事や社会的な役割に差があるのはおかしい。そう思ってきたし、そう信じて仕事をしてきた。だが無意識に「育児は女性の仕事。それでキャリアや給与が減るのは仕方がないこと。男性はそうはいっても仕事が優先されるもの」だと思い込んでいた。
以前、ある男性上司に「情報収集不足」だと言われたことがある。今は男女ともに夫婦で子育てをするものなのに、勝手に家事育児は女性の仕事だと思い込んでいるなんて情報収集が不足しているんじゃないの。何事も情報戦だよ、と。その時はぐうの音も出なかったが、ここで反論する。
情報収集が大事なのはわかっている。無意識の思い込みで自分を勝手に追い込んでいたの自覚している。しかし、人間は自分で見たものや経験したものに引きずられるのだ。
生き方のバリエーションはたくさんあれど、その全てを目で見て触れられるわけではない。未知のものに気づくのはハードルが高い。自分の身近に「夫と協力して職場に頭を下げてお迎えを半々でやっています」という人がいなければ、そんな発想があることすら気がつかない。私の母は、仕事もしながら家事育児をほぼすべてをしていた。夫の母もまた、専業主婦で家事育児を一人でしていた。育児をしていたのはどちらも母親で、父親の影は薄かった。
双方の職場では、バリバリ働く子持ちの男性・DINKS・独身の医師。そして育児をしながら仕事をしていたのは子持ちの女性。彼女たちはいつも肩身が狭そうにしながら、自分の仕事が評価されないことを悩みながら患者さんのために働き、子供のために仕事を休んでいた。
そんな環境では、理想の家事育児分担の発想には至れない。無理だ。知らないことはできないし、知ることすらできないこともある。あの時、私は情報戦に負けた。それは仕方がないことだった。むしろ、偶然Twitterで外科医・とーこ先生(@inakatoko)を見つけて、そこから一気に夫と家事育児分担の交渉ができた私は、まだ恵まれていた。
ちなみにその男性医師は、子どもが産まれた時に「定時で帰らせてほしい」と上司に交渉し、あえなく却下されたらしい。そう言う意味では、その医師も育児参加ができなかった犠牲者なのかもしれない。一方で「でも僕は20時には帰ってたよ。ふふん」と言っていたのはいまだに理解できない。乳児がいる家庭で20時に帰ったところでなにをしていたんだろうか。
今は情報が溢れすぎていて、本当に自分が求めている答えには辿り着けないこともある。生き方に迷った時は、具体的な解決策を探すと同時に、自分がどんなふうに生きたいのか、何を大切に生きたいのか、あるいは何に違和感を感じているのかを考えることが必要かもしれない。私の場合は「出産したのは妻だからといって、妻ばかりが育児をして、そのために仕事を休んで、キャリアやお金を諦めるのはおかしい。絶対におかしい」という違和感と怒りが活路を切り開く原動力となった。
情報は多い。新しいやり方や知らない方法はたくさんある。その中から主体的に選べるように、自分が守りたいもの、自分の幹になるものを考えながら探していくしかないのだと思う。
妊娠中にネガティブなことを考えたくなかった
4つ目は、少しオカルト的な内容になる。いわゆる「言霊」だ。
私は手術麻酔をしている。周産期医療や新生児医療に携わる場面もある。そのたびにしみじみ痛感するのだ。妊娠して、出産して、母子ともに健康であるというのは、実は奇跡なのだと。
妊娠は何が起こるかわからない。20週になる前に流産してしまうこともあるし、39週で突然、お腹の赤ちゃんが亡くなってしまうことがある。生まれてからも、先天性の病気を抱えて何度も手術をしないといけないこともこともあるし、手術ができない亡くなったり寝たきりになる赤ちゃんもいる。それまでまったく問題なく過ごしてきた妊婦さんが、出産でいきなり大量出血することがある。(産褥期の出血は本当に怖い。他のどんな手術よりも一度に大量に出血するので、麻酔科医や救急救命医は目の色を変えて対応する)
妊娠出産は、いつどこで母体・胎児が命の危機に晒されるかわからない。それは日頃の行いや信心深さとはまるで無関係に、ランダムに誰にでも起こりうる。
妊娠中、私は祈るような気持ちで日々を過ごしていた。妊娠検査が陽性になればちゃんと心拍が聞こえますようにと願った。心拍が見えて胎動が出るようになったら、24週までお腹の中にいてくれますようにと願った。妊婦健診で胎児を診察したときは、どうか何もないようにと思った。
出産予定日が近づくと、無事に生まれてほしいとばかり祈っていた。もしも自分が大量出血を起こして死んでしまったり寝たきりになっても、夫が困らないようにと自分の銀行口座を整理していた。
つわりも辛かった。けれどそんな辛いつわりですら、早く終わってほしいとは思なかった。つわりを一番確実に終わらせる方法は、妊娠の終了だ。つわりがあった5週から20週までの間、胎児が子宮の外に出てしまったら生きていけない。つわりは辛い。でももし、つわりが早く終わってほしいと願って、そのあとに流産をしていたら、私は一生、自分を許せなかった。
夫との話し合いを避けたのも、その不安な気持ちがあったからだ。
妊娠中、私はしばしば夫にイラついた。出産育児を「自分ごと」として捉えなかった夫と、何度もと話し合ったほうがいいと思った。けれど同時に、その話し合いは穏やかではないだろうと予想できた。もしも話し合いで揉めてしまったら、「こんな状態では安心して産めない、不安だ」と言った翌日にもしものことがあったら。私は、話し合った自分を責めただろう。あんなことを言わなければ、自分が我慢をしていればと考えただろう。それが怖くて「子どもが産まれたらきっと変わってくれるはず」「もっと真剣に取り組んでくれるはず」と絵空事のような夢を抱いた。
私の思考や言動に、なんの科学的根拠もない。単なる気持ちの問題だ。信心深くしていれば無事に出産できるとも考えていない。それでも、妊娠という不確実性の真っ只中にいた当時の私は、自分が我慢できることなら我慢すべきだと思っていた。自分の言動が引き金になり、お腹の子になにかが起こるかもしれないと考えたら、強気なことや踏み込んだことは何も言えなかった。妊娠出産はなにが起こるかわからない。生まれてくるまで、あるいは生まれてきても無事かなんて分からない。妊娠出産は喜びに満ちているが、時に無慈悲な瞬間もある。
まとめ
以上、産前に話し合いができなかった原因を、4つに分けて考えた。
誤解してほしくないのは、決して「産前に話し合いはしないほうがいい」とは思っていないし「産前の話し合いは無駄だ」とも考えていない。パートナーとは、いつでも将来のことを話せたほうがいい。産前でも、あるいは妊娠前でも、いつでも。できることなら、私も事前にもっと準備をしたかった。産後の暗黒期を、強い怒りで乗り切るのではなくて、もっと穏やかに乗り越えたかった。
それでも、やはり、産前に全てを予想するのは難しい。どれだけ話し合っても、備えていても、予想外のことは起こる。まったく予想もしていなかった、心も体も削られるような状況はある。
「変化の時代」と言われて久しい。決まったこと、確実なことは少なく、絶えず変化を繰り返す時代。今から10年前、20年前にはとても信じられなかった社会が作られている。そして今から10年後、20年後には、想像もできない社会になっていくだろう。変化に翻弄されるという意味では、現代社会と産後の怒涛の日々とは、似ている。
全てを予見し、準備し、失敗がないように備えるのは不可能だ。どれだけ事前に努力しても問題は起こる。それも次々と。できるのは、最低限のギリギリ死なないラインを確保しつつ、問題にぶつかるたびに解決策を探すしかない。パートナーや家族で共に生きていくのならば、他者との話し合いは不可欠だ。それも泥臭く、何度も、何回でも。一度の話し合いで一度のきっかけで画期的に状況が良くなることは少ない。そんなドラマや映画のよう展開はない。誰かと一緒に生きていれば、関係性が壊れる瞬間もある。何度もぶつかって、壊れて、作って、育てて。何度も泥臭く対話を重ねていく。
産後は、夫婦ともに(とりわけ女性側の)体や周囲を取り巻く環境が大きく変わる。猛烈な変化の時が訪れる。その時にちゃんと夫婦で向き合えるか。それがどんな結論であっても、向き合って対話することができるか。変化の大きい時代を一緒に歩いていける関係性なのか。
産後の関係性は、これからの時代を共に歩けるパートナーなのかを見分けるリトマス紙になるかもしれない。
<産後の夫婦関係について書いています>