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「コジ子」をやって、と言われて考えた事

しばらくの間、毎回のように自分たちのポッドキャスト番組をnoteで紹介しないようにしていました。

というのは、もちろん記事にかけられる時間が不足しているという問題は大きかったのですが…過去複数回で「エピソード配信後の補完テキスト」をnoteに書いてきましたが『読み手にとってはあまり有益ではなさそうだから』というのが大きいです。

ただこのエピソードについて、自分なりに悩み、やっぱりやめるか、でもやろう、となった葛藤は、それだけでテキストコンテンツとして一応成立すると思い、書いてみようと思います。

該当エピソードはこちらです。

冒頭の一分ちょっとを聞けば「コジ子」には出会えます。むしろ、その後が本題であり、少し重めネガティブな内容を緩和するために、こういった寸劇を入れました。

コジ子ってなに?

そもそも、よく解らないかと思います。

これは過去のエピソードで「コジマサトシとして、ちょっとだけ垣間見えた【コジ子】…女性風な話し方」を、少し前に持ってきてはどうか、という示唆がきっかけです。

簡単に言うと、私が過去接してきた【アパレル女性販売スタッフや、それに準じる方】をイメージした、物真似もどきです。クオリティも低いです。

ただ、ふだん割合にカッチリとしたキャラクターでWeb活動をやっている(つもり)の私がこういう事をやるのは、普段とのギャップだけは大きく、カンフル剤っぽくはなるのでしょう。

また、それをいくつかの場…エピソード内で話をしてきて、しかも一部の方には面白がっていただけるコメント、楽しみしているコメントも頂戴し、それなら90回のキリの良い番号のエピソードで御披露目するか、となりました。

悩まなかった事

正直な所、私自身のブランディング上では「やった方が得」と判断していましたし、本当にできるかな?とかは心配していませんでした。

また普段私がロジカルにゴリゴリ押している相方…フナダさんから、反撃として「無茶ぶりをされている私」というのは、むしろスカッとするものであると思いましたので、それも良いことだろうとも思いました。

グダグダであっても、完成度がやたら高くても、どっちにしても、マイナスは無い。

これで仮に、コンサルタントとしてのクライアントが聴いていたとしても、ダメージはほぼ無い。

そう考えましたし、実際にビジネスへの影響はありません。

悩んだ事

正直、質はともあれ「寸劇」でしかないのですが、何に敏感に反応されるか?が解らない時代でもあります。

幸いにも既存のリスナー様においては、好意的に解釈…つまりは意図をご理解いただけていると感じます。つまりは「全体に重いネガティブな話」を、軽く馬鹿馬鹿しい話でサンドイッチする、というためにやっている…と。

なので、気にしたのは「馬鹿馬鹿しく表現すべきなのかどうか?」です。

ゴリゴリに練習を重ね、ちゃんと台本を用意し、本当に文字通り「コジ子」を出現させる方が、ちゃんと異性に対してのリスペクトを示せると思いました。

私は、レディースアパレル業界出身なので、9対1とか、8対2くらいの割合で、常に女性に囲まれて仕事をしてきました。

そして、基本的に先輩も後輩も同期にも、リスペクトをしています。同時に性別による役割分担もはっきりとしていました。

お客様が基本女性の、レディースアパレル業界である事や、やっぱり力仕事や裏方仕事では、男性である私の方が適正がありますし、逆に女性に適正が大いにある仕事も山のようにあります。

また、変な男性から店に「変な電話」があれば、私がすぐに代わるようにしていた、とか、スタッフを守るという部分でも(基本電話を代わったら、相手はすぐに電話切りますしね)、性別による持ちつ持たれつの関係性は、いちいち言わなくても成立していました。

そして、持ちつ持たれつは、性別の適正に合わせて仕事する事もあるし、だからと言って、境界線を作らないという意味でもあります。

必死にダンボールを運ぶ女性スタッフもいますし、暑い倉庫整理を率先してやってくれるスタッフといます。逆に、私も婦人服を店頭で販売するのも、まさしくです。

本当は働く女性にリスペクトを伝えたかった

上記ような理由で、事業会社時代はずっとほとんど女性…異性に囲まれて働いてきたからこそ、小馬鹿にするような内容にはしたく無かった。

でも馬鹿馬鹿しい寸劇内容でないとエピソードは成立しない。

ここは、収録開始ギリギリまで揺れ動きました。…だからこそ、寸劇そのものは、何にも考えられる余裕もなく、ぶっつけ本番で臨む事になったのが、あのエピソード冒頭です。

特に、今は炎上も何もありませんが(規模が小さいもので…)、もしも不快に思われた方がいればお詫びしたいとも思います。ただ、もう戻っては来てくれないとも思っています。仕方ありません。

小馬鹿にすれば、小馬鹿にされる

これは、昔先輩に言われた事です。少し自分用にアレンジしてありますが。

初めて聴いたのは10年以上も前の事ですから、そこからずっと意識しています。

ただ上手く、そのように生きているとは言い切れません。なぜなら、小馬鹿にされる場面はアラフォーになっても対面するからです。

また発言時には、自覚のありなし問わず「あ、今の小馬鹿にしたようになってしまったか?」と後悔する事は続いています。

それでも昔よりは減ったはずです。意識は出来ているので。

毒舌、暴言、イジリ芸。

昔ほど直接的な暴力は行われなくなったからこそ、その行き先を失ったパワーは「文字や言葉」に集約され、WebにSNSに垂れ流されていると思います。


実は、結構そんな葛藤などがあった、記念すべき第90回のエピソードでした。

お話ししている内容は、相方フナダさんの話含めて、過去有数の中身になっていると思いますので、冒頭を聞き流して、本編にぜひ耳を傾けていただければ、大変うれしく思います。

noteもゆっくり再開しますので、「働くひとのたち話」も、どうぞよろしくお願いいたします!


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