リソースからの新スタート!

4月スタートしましたね!

みなさまは、入学、入園、
新生活スタートでしょうか?

私の記事に辿り着いていただき、
ありがとうございます。

私は、昨年4月から専業主婦から原木しいたけ農家に起業したアラフォーママです。
旦那さんは会社員で、暮らしと働き方の
ウェルビーイングを叶えていきたいと
実践中です。

私たち家族も新生活スタートしてます~。

長女は学童開始、小学校入学。
次女は年少保育開始。入園式。

私はというと・・・

看護師のアルバイト始めました。

しいたけ農家じゃないの?と言われそうですが、
農家やりながら、アルバイトします。

人生一度きり、働き方も無限大です。

看護師のアルバイトは、去年10月ぐらいにら
声をかけて頂き・・・

障害者施設のオーナーさんから
障害者施設の事業拡大の立ち上げに
自分も協力出来たらと思い、
働かせてもらってます。


私の母は、私が23歳のときに脳梗塞で
倒れています。


右半身麻痺と失語症という後遺症があり、
週に3回デイサービスに通ってます。


15年前、48歳の母に少しでも刺激を与えようと
電車に乗って名古屋に行ったり、
県外に連れ出しました。


20代前半の女性が車椅子の母親と
2人で電車に乗るのは、
周りからの視線を感じましたね。
(自意識過剰かもしれませんが・・・)


電車に乗るのも、一苦労で時間もかかり
エレベーターを探し乗るのも、
大変だった覚えがあります。

15年前、健康だった母が倒れ、
お先真っ暗になりました。

妹は専門学生と高校3年生の受験生。
父は家計のことをすべて母に任せていたので、
銀行やお金関係のことが全く無知。

私は、家の居心地が悪く、当時の彼氏の⁡家に
半同棲状態でした。

家族バラバラなのに、さらに母が倒れたので
何から手をつけていいか分かりませんでした。

お父さんとも面と向かって話した記憶が無かったので、母のこれからのことを話しました。

妹2人とは、泣きながらこれからのことを
話しました。

私は、その時に長女だからと
頑張らなきゃ!私がなんとかしなきゃと
また肩肘張ってたんですよね~。

母が倒れたと同時に何百万の借金も分かり・・・

看護師の給料は、どんなに働いていても
決まっている。

補整下着代理店(副業として働いていた)は
自分が頑張れば、頑張るほど
たくさんの人がキレイになり、
喜んでいる人が増えた分、給料が増えると
思っていたので、もうとにかくがむしゃらに
走りましたね。汗

母の介護しながら、看護師の夜勤やり
下着の仕事して、20代前半過ごしました。

今では、その経験が生かされてると
感じています。

健康が当たり前と生きてきた人生が
母が身体障害者1級になるほどの
重度の障害をもつ生活を強いられた家族。

当たり前なんて1つもないんだなと
今身に染みて感じます。

母は、障害があっても自分でトイレに行き
着脱もします。

自分の意思を、相手に何とか伝えようと
懸命にあの手この手で訴えてきます。

母の姿を見ると、毎日人生楽しもう!
もっと自分らしく生きたいと思いますし、
子どもにも伝えていきたい。

話は変わり、私は、
可哀想っていう言葉は、私は好きじゃなくて・・・

周りに母の話をすると、可哀想と言われることもあり・・・
私は微塵もそんなこと感じてなかった。


好きで病気になってるわけではないし、
障害があるからこそ出来ることは
たくさんある!とも感じていました。


母は失語だけれど、私との意思疎通は
他の家族より分かり合っていました。


自分も母親になり、子どもは健康です。

私の子どもにも、色眼鏡で人を見て欲しくない。

障害があるからという理由で
出来ないことに目を向けるのではなく
その人個人と心通わせ、
いろいろな世界があることを伝えていく
オーナーさんの思いに共感し、
働かせてもらっています。


人は皆、平等。

みんな、幸せになるために生まれてきたから。

⁡母のおかげで、健康の大切さ、当たり前なんて
ひとつもないことを20代前半から分からせて
もらえたのは、幸せです(^^)

自分も自分と関わる人もみんなで
幸せな暮らし、笑顔にしていきたいな~。⁡

暮らしも働き方もBeautiful Lifeに!
山田奈々

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