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【映画】アダムス・ファミリーがなぜ好きかを考えてみたら、母モーティシアに行き着いた話。

最近、金曜ロードショーで、マスク(1994年の映画)やアダムス・ファミリー(1991年の映画)をやっていて、放送を知ったとき、かなりテンション上がりました。まさに子どもの頃に何度も見た映画です。

不気味なこの映画を愛する理由

何十年かぶりにアダムス・ファミリーを見たのですが、やっぱり面白かった。家族全員が黒い服を身にまとい、不気味な屋敷に住む奇妙な一家。
気味が悪いはずのに、子どもの頃、好きで何度も見ました。

明るく活気に満ち溢れた世界が幸せの世とはかけ離れ、世間でいう、不幸や闇が素晴らしいというアダムス一家の奇妙な価値観も面白くてすごく魅力的だけど、この映画を通して感じることは、家族の愛なんだと思う。
涙を流して感動するとか、子どもや夫婦の問題を乗り越えるとか、そうゆうものを通り越した、絶対的な家族の形がもうすでに完成されていて、どんなにホラーでも不気味でも、幼い子どもの頃の自分が最後まで見ることが出来たのは、その絶対的な家族の愛の姿に安心していたんだと思う。

モーティシアから学ぶこと

母親になって、何十年ぶりかにこの映画を見ていて、モーティシアの魅力に惹きつけられました。ウェンズデーの担任の先生から、学校で描いた絵について相談されたときには、一人だけかなり浮いているのにも関わらず、堂々と娘の作品を褒めたたえ、学芸会?の血みどろのシーンでは、家族で、”ブラボー!!” と人目を気にせず大絶賛する。
人が何と言おうとも、我が子を認め、愛する。
血の量多いし、電気椅子やギロチン?等、残虐な遊びが出てきてかなりドキドキするけれど、母親の無償の愛の大切さを所々で感じるのです。

私が子育てで常に意識しておきたいことがあるのですが、
どんな時も、我が子を認めて、受け入れてあげたい。
人と違う生き方だとしても、人に迷惑をかけていないのであれば、その子が思うようにやってみてほしいと思うのです。
でも実際は、言葉通りにはなかなか上手くいかないものです。
そんなモヤモヤを、モーティシアがズバッとやっちゃってます。

映画の終盤、好きなシーンがあるのですが、屋敷から追い出されたアダムス一家が、モーテルみたいなところに泊まり数日生活することになり、あんなに紳士的でかっこよかった主人のゴメズが無気力な人間になり、みんなが寝静まったあと、モーティシアが、元気のないゴメズ、執事のラーチ(執事しか出来なさそう)、ハンド(…手やん)、子どもたち…を見回しながら、ぐっと表情が引き締まります。そして、こっそり屋敷に一人で向かいます。
こちらは一人で、相手は3人、武器も持っています。
危険な状況なのは承知なはずなのに、家族を守るため、元の家族の姿に戻るため、一人で行動を起こすのです。

子どもの頃には特に気にも留めなかったシーンです。
でも、久しぶりに見て、印象的な場面でした。
家族が困難に陥った時、立ち向かうとき
あぁ、やっぱり母が(妻が)一番に動くのかなあと思いました。

子どもの頃、なんとなく好きで見ていたアダムス・ファミリー。
家族の愛の力に惹きつけられていたのかもしれませんね。







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