推しがアイドルを辞め、VTuberになった。
オタクです。
2022年4月30日。
だいすきな根本凪さんが、アイドルを卒業した。
私にとってとても大切なアイドルであったし、私の人生すべてを変えてくれたアイドルだ。
そんなアイドルとのお別れ。
どういう感情で迎えればいいのか、どういう感情でオタクとしてけじめをつければいいのか、ずっとずっと考えていたけど、答えは出ず。
けれど、実際にその時に心の中に溢れていたのは、ねもちゃんに対する「だいすき」と「ありがとう」だった。
未練がましく面倒くさく気持ちの整理をつけるのが下手なオタクの私であるが、ねもちゃんがくれた気持ちは、最後の最後まで、私にとって大切な大切なもので、私は本当に幸せ者だったなあ・・・と、素敵な思い出たちを反芻しながらお別れを言うことができた。
誰もがうらやむ華々しく煌びやかな「卒業」ではなかったのかもしれないけど、ねもちゃん、そして私たちオタクに、素敵な思い出を大事に宝箱に収めて次の世界に進ませてくれる、そんな素敵な「卒業」をねもちゃんが叶えて見せてくれたがゆえだと思う。
ただ。
その「次の世界」というのは、「VTuber」の世界であった。
私の中での「VTuber」に対する認識
世はVTuberをコンテンツとして楽しむことがスタンダートな時代。
端的に言えば、バーチャルな存在が、いわゆるYouTuberとして動画配信や動画投稿を行う存在であるが、その性質には、色々な意味でなかなか興味深いものがあるなと感じていた。
前提としてまず、私にとっては、キャラクターはキャラクターであって、人間は人間だ。
例えば私は、キャラクター役の声優が歌って踊るライブが好きだ。
これについては、過去の記事で長々と語っているのだが、そういったライブで私が楽しんでいるのは、あくまでも「声優がアイドルを演じている光景」であり、かつ「それをその場にいる全員で楽しんでいる空気感」である。
キャラクターに対する声優の愛、観客の愛、スタッフの愛・・・そんなクソデカ・愛たちが魅せてくれる、盛大なキャラクターの「幻覚」を楽しんでいる。
だって、声優に対しては声優としてのキャラクターを演じる姿勢をリスペクトしているし、キャラクターに対しては、声優個人の存在とは(声以外は)一切関係ない魅力に惚れている。
声優はこの世界に確かに生きている存在であり、かつそのキャラクター以外のために生きる瞬間がほとんどであるのだから、そこに酔いしれすぎることは、キャラクターのオタクとしての傲慢につながりかねない。
これは、声優とキャラクターが共に歩んだ歴史だとか、声優のキャラクターに対する熱意だとか、そういうものに良さを感じていることとは全く別の話だ。
なんかちょっと話が逸れたが、つまり、「キャラクター」というのは、私にとってそう簡単にブレてほしくない存在なんだよ~~~!!!!!ということが言いたい。
私が好きなのは徹頭徹尾キャラクターである。
私がライブで目にする声優とは、ビジュアルだけでまず顔もスタイルも髪色も、何もかもが違う。話す言葉も、考えていることも違う。
当たり前だ。キャラクターはこの世に存在していないんだから。
ただ、キャラクターがこの世に存在していないということはつまり、キャラクターについて公式における言及がされていない個所について、こちら側がそれを勝手に考察できる「奥行き」があるということを指す。
私は、この「奥行き」がオタク側に委ね切られていからこそ、「キャラクター」という存在が尊く、面白いものなのであると感じている。
キャラクターはあくまでもキャラクターでしかないので、人間のような感情を持たない(当たり前)。つまり、オタク側がどんな考察をしようと、それが製作側に伝わることはあれど、キャラクターそのものに伝わることはないし、キャラクターそのものの聖域が崩れることはない。
そういう点では、「キャラクターを好きでいる」ということは、そのキャラクターにおける、「”自分の好きな”キャラクター像を好きでいる」ということで、私はそれを楽しんでいるし、それを以てキャラクターが好きだと言える。
だからその点、VTuberに関しては、その境目がとても曖昧だと感じる。
緻密にデザインされたビジュアルや設定も勿論だが、配信の題材やトークのすべてに至るまで、VTuberは「キャラクター」として機能しているわけで、当然にその「キャラクター」を貫いてつくられたコンテンツが、VTuberの魅力を成しているものだろう。
しかし、実際にそのトークやツイート等を見ていると、作られた設定だとかそもそもの「バーチャルな存在」としての在り方だとかは、(人によっては)そんなに徹底に徹底を重ねられているほどのものではないらしい。
VTuberたちは普通に現実世界に固有のもの(具体的な場所名や商品名を出したりする)を使用しているようだし、トイレにも行っているし、現実世界で生きているようなことを示唆する発言もする。
これすなわち、「キャラクター」としてキャラクターを楽しむ上で、どうしても「中の人」たる人間の要素が入り込んできてしまっているということだ。二次元に住んでるバーチャルキャラクターなのに、三次元のトイレに行って、三次元の水道にお世話になってるの?という疑問が、その発言により、私の中にはどうしてもちらついてしまう。
ただ、VTuberを楽しむオタクの中には、そんな「キャラクター」とはまた別の「中の人」の要素を、「キャラクター」の概念の一部として楽しみ、開き直ることができる人々がいるらしい。
いわゆる「中の人」による設定と矛盾するような発言すら、「キャラクター」のメタ的要素の発現だと面白がったりもする。
VTuberは、「キャラクター」というよりは、「人間がキャラクターに擬態している存在」というのを暗黙の了解として楽しむものだろう。それは当たり前だ。でなければ、トークや歌等の差別化できる個々のスキルがある意味がない。
VTuberのオタクたちは基本、それを理解した上で、VTuberを「キャラクター」として扱い、推すことを選択しているんだろう。
けれど私は、その「キャラクター」が「人間」と表裏一体でなければならず、完全な「キャラクター」としては機能できないような人間による擬態に留まる存在であるならば、それを「キャラクター」として応援することはできないな~~~~~と思ってしまう。
全て制作側が綿密に仕上げた台本通りにだけ話すのであれば、それは「キャラクター」として成立する。声優の演じるキャラクターもそうだ。
けれど、VTuberはどうしても、その活動の性質上、人間による感情・思考に基づいて紡がれた言葉が、キャラクターを構成することとなる。
どうあがいても、「人間がキャラクターに擬態している存在」であるならば、私にとってはそれまでの存在にしかなれないので、私は完璧に作られた「キャラクター」を好きになる方がいい。
そんな凝り固まった思考の持ち主であるワイ・オタクなので、当然4月30日の卒業公演中に、推しがVTuberとして転生すると聞かされた時は、素直に(素直に)あ~~~~~~~~~~~~・・・・・・・・となった。
自分が好きになれる態様のものではないな・・・と思って避けていたジャンルに、推しがなってしまったわけなので。
VTuberに対する認識 VS 根本凪さんへの気持ち
ちなみに、いざVTuberになるよ!と言われたとき、めっちゃ驚いたかと言われると、そういうわけではない。ねもちゃんは卒業発表以前より常々、「二次元になりたい」という旨の発言をしていたし、発表後は猶更だった。
卒業後も何かしらの形で歌う活動は続けていきたいとも話していたことから、その形態のひとつとして、VTuberやそれに似たアバターを用いた活動を行う可能性は考えられていた。
生身の身体の不調(これについては裏垢配信の通称で親しまれる.yell Live等で言及されていた)を原因としてアイドル活動を終了したという点を鑑みて、そのような一生付き合っていかなくてはならない不調を抱えている以上は、そう簡単に生身での活動はできないんだろうな~とかも。
そんなことを考えているとき、アイドル・根本凪さんじゃない根本凪さんを応援することへの不安がよぎっていたことも事実で。
配信している根本凪さんも好きだし、根本凪さんが創る作品も好きだけど、やっぱりステージの上で歌って踊る根本凪さん以上の輝きを私は知らない。
私が最初に見て惚れたのは、『ギラメタスでんぱスターズ』を最高の笑顔で歌って踊るアイドル・根本凪さんで、ずっとその最初に見た輝きを追いかけ続けてきたから、迷子になってしまうのではないかという恐怖が漠然と存在していた。
だから、例えばVTuberになったとしても、それまで見たことのないキャラクターへと変態を遂げた存在を、「根本凪」として、はたまたその「キャラクター」として愛せと言われても、それは私には難しいんだろうな・・・とモヤモヤしていた。
また、当時は卒業前の情緒不安定の最中で、ただただ邪推の止まらない時期だったから、もしかしたら「根本凪」という名前ではない存在として突然現れて、前世がアイドル・根本凪であるという暗黙の了解の下で、アイドル・根本凪の代替品のようにそのキャラクターを消費するような事態が起きるのではないかという不安も存在して。
そうなってしまったら、私が大切にしたい思い出全部踏みにじられていよいよ何も受け入れられなくなってゾンビになっちゃうよ~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!と、友人に泣き散らかしたこともあった(大迷惑)。
だって私が好きになったのは、私が見てきたアイドル・根本凪さんなんだもん~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
アイドル・根本凪さんのことを根本凪さん本人は好きになれなかったとしても、私がアイドル・根本凪さんに惚れた事実や私が好きになったアイドル・根本凪さんはたしかに存在していたのに、それを全部リセットされて生まれてきた新たな存在を根本凪さんとして愛せ!と言われても、そんなのは根本凪さんを人質にとられて、アイドル・根本凪さんに対する抗えない恋しさを原動力に動くだけのゾンビになるほかないではないか。
見たことないキャラクターのはずなのに、話す声は根本凪さんだし、話す内容は根本凪さんだし、話の仕方も根本凪さんだし・・・なんて、そんな乖離が容易く受け入れられるほど、アイドル・根本凪さんを軽い気持ちで好きになってない。
勿論アイドル・根本凪さんを好きでいた時間を通して、根本凪さんという存在そのものを好きになっていた実感もあったから、アイドルじゃなくなったとしても、アイドルじゃない根本凪さんを応援していきたいという気持ちは確実にあった。だって大好きだから。
けど~~~~~~~!!!!!!!!!!!!
私の好きになった根本凪さんよ、いなくなるな~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
中途半端にキャラクターの皮を被っただけでその中の人間を疑似的に愛するようなコンテンツになるな~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
と、ずっとぐるぐるぐるぐるぐる考えていた。
(あらゆる方面に失礼かもしれない言い回しをしているが、普通に私はこう捉えているよってだけで、そのような在り方やそれを好きな人を貶しているわけではないということはご理解ください)
ただただ私がアイドルオタクすぎるだけなんだよな(結論)。
根本凪卒業公演の存在
あらゆる漠然とした不安に苛まれ、根本凪さんのことを思い出として封印するか?それとも愛し続けるか?というオタク・岐路に立たされていたとき、とても重要な役割に就いてくれたのが、2022年4月30日に開催された『根本凪卒業公演 ~月と、真っ赤な目をした兎の夢~』だ。
冒頭でも触れた通り、この公演の存在によって、私にとってのアイドル・根本凪さんの「卒業」は、とても素晴らしいものになったと思う。
アイドルとしての最後のパフォーマンス。
私が大好きになったアイドル・根本凪さんの詰まった歌、ダンス、魅せ方。
アイドル・根本凪さんを構成していたものの何たるか。
ステージングによって、””””全部””””を伝えてくるスーパーアイドル・根本凪さんがそこにいた。
だから、アイドル根本凪さんのことがだいすきだったんだよね・・・と 自分の中で答えを出すことができるようなステージを(でんぱ組.incとしてのステージで見たかったのが本音だけど)(まだ言う)(それほどまでに好きだったから)、根本凪さんは見せてくれた。
そして何より、本来望んだ形でない終わりを迫られるほどに、アイドルという世界が根本凪さんの心を蝕んでしまった(ように思えた)中でも、根本凪さんの心には、「アイドルをやっていてよかった」という気持ちが確かに存在しているんだな ということを感じることができてよかった。
本格的な卒業公演の叶わなかったでんぱ組.incについても・・・公演前まで(ほぼ)毎日更新してくれていたブログや、.yell Liveで語っていた複雑な心境を受けて、でんぱ組.incのオタクだった私はんま~~~~~素直に 私がでんぱ組.incのねもちゃんを好きになったのは間違いだったのかな~~~とか考えてしまうほど落ち込んでた(一番つらいのはねもちゃん本人のはずなのになんで私が落ち込むねんという話ですが)けど、「でんぱ組.inc」という憧れの始まりであり永遠の命題のようであったであろう存在に約4年半挑み続けたその複雑な心境をぜ~~~~んぶ相沢梨紗さんの歌う『あした地球がこなごなになっても』が包み込んでくれた。
ねもちゃんが自分に自信がないという旨の発言をするたびに、「アイドル」というものに本当に真剣に向き合っているアイドルなんだよな・・・と感動すると同時に、私がこれ以上ないだいすきを捧げた存在が、その存在自身を卑下していることがどうにも哀しくて空しくて、だけど無責任にそんなことないよ!という言葉を掛けることはアイドルに真剣な人に対する侮辱に思えてできなくて、だからせめてここにあなたのことをだいすきだと思っているオタクがいるということを伝えたくて、、、まあそんな気持ちで2021年後半からは生きていたので(勝手にね)、アイドルを経て得られたのであろう自己肯定が、確かにねもちゃんの中に存在しているのを感じて、一気にいろんな感情から解放された気がした。
私がだいすきになった「根本凪さん」が、アイドルとしての自分を受け入れた上で、笑顔で、自分を大切にすると宣言してくれた。
そして、”たぶん、最後の曲”と銘打って、「私の中の君が住んでる場所 秘密の箱 宝物」「心のなかに灯るものがあれば暗闇でも迷わない」とかいうクソデカねもちゃん歌詞が存在する『ORANGE RIUM』を歌ってくれた。
これだけで、アイドル・根本凪さんに陶酔しすぎていた自分は、結構救われたし、寂しさはあれど、もう成仏できるな・・・と思った。それくらいデカいことだった。
アイドルへの未練も、グループへの気持ちも、自分自身に対する葛藤も全部受け止めて、軽やかに進んでいきたいと前を見てるアイドル・根本凪さんの最期は、本来望まれた形の卒業ではなかったのかもしれないけど、本当に美しかったんだ_________________
なんかただのオタクのクソデカ感情爆発卒業公演感想を垂れ流すタイムが発生してしまったが(これは必要な過程です)、この卒業公演の肝は、「アイドル・根本凪」の物語の終わりを描くことのほかに、「VTuber・根本凪」の物語の始まりを描くことがあったようで。
アイドル・根本凪の物語の終わりを描いた本編パートは、以下のように締め括られる。
そしてここからアンコールパートに入り、ステージ上に設置されたブラウン管テレビに、VTuber・根本凪が表示される。
VTuber体が表示された瞬間は、VTuberという概念への個人的な考えがアレでアレなのであ~~~~~となったけど(前述のとおり)(正直者)、アイドルを経た根本凪さんが何を望むのか、何を目指しているのか、根本凪さん自身の言葉で語られたから、ああ今根本凪さんがやりたいことを叶えられる根本凪さんの在り方って、VTuberなんだな・・・と スムーズに理解できた。
ただ身体的な不調とも付き合っていけて、かつ根本凪さん自身も自信の持てる最高のビジュアルで、どんな場所にいても媒体さえあれば根本凪さんの大切にしたい存在たち(=根本凪さんのファン)と共存できて、お喋りや歌など根本凪さんが届けたいコンテンツを届けられる・・・それに適合した最もいい存在がVTuberだったんだよ と。
アイドルとしての終わりと同時に、VTuberとしての始まりをきちんと描いてくれて、根本凪さんが転生を選ぶまでのプロセスがよくわかるように、橋渡し的な構成がなされていたから、少なくとも、根本凪さんの行きたい場所が分からずにオタク側が迷子になる・・・ということはなかったのかな と。
VTuberという存在そのものの良し悪しはいったん置いておいて、今の根本凪さんがこういうことを思ってこういうことをしたくてこういう決断をしたんだよ ということをちゃんと知ることができたから、少なくともそれを受け止めることはできた。そこから先についていくかどうかはまた、また考えることだよね・・・と。
アイドル・根本凪さんのことをだいすきな人格とはまた別にある、「根本凪さん」のことをだいすきな人格は、素直に根本凪さんがこんなふうに思ってくれていることがうれしかったと思う。
無責任かつ自分勝手にアイドルを消費するだけのオタクとかいう存在に対して、”近くにいたい”と思ってもらえていることが。
(それはそれとして、4月30日→5月1日はひたすらひたすらひたすらにだいすき過ぎたアイドル・根本凪さんに対するデカ・愛とこの次元からいなくなってしまう寂しさでどうしようもなくなり、新宿の街を泣きながら徘徊しました。)
VTuber・根本凪への気持ち
と、まあ。
以上がアイドル・根本凪さんに対する感情が占める部分の大きい話であり、ここからは、じゃあ実際VTuberの根本凪さんをどう捉えているか という話になる。
結論から言うと、現在進行形で、VTuber・根本凪さんのことを応援し続けている。
相変わらず、好きでい続けられている。
ただ、この「好き」は、「VTuber・根本凪が好き」というよりは、「根本凪が好き」という気持ちに起因するものである・・・という自覚が明確にある。
依然として、VTuberという(私にとっては)境界線のあいまいな存在そのものを好きになれる要素は見つけられていない。
というか、根本凪さんは形式上VTuberになったとはいえ、やっぱり根本凪さんという存在がデカすぎる。
ご実家で暮らしておられるから、生活音やご家族の声までバッチリの配信風景だし、.yell Live(裏垢配信なので)ではもうガチガチの手元配信をされているし。
ご本人もオタク側も吹っ切れて、色んな形態があるってことで!という解釈になっているけど、一応事務所のHPではちゃんと「キャラクター」という分類になっているので、色々と次元の交わりがすごいことになっている。
もうこんなん根本凪さんにしかできん。
なのでこちらとしても、VTuberを応援しているというよりは、根本凪さんという”””特異点”””みたいな概念を応援している感覚である(?)。
一応、今の感覚を図にするとこんな感じ。
今の根本凪さんはアイドルではなくてVTuberだから、アイドルを消費する気持ちで根本凪さんのことを消費するのはやめようと決めている。
どうあがいてももう根本凪さんとはチェキ撮れないし・・・絵とチェキ撮りたいわけではないので・・・
そういう意味では、やっぱりアイドルオタクをするのが大好きな身として、世界で一番好きな顔してて好きな歌と踊りとパフォと接近対応をしてくれる女の子のアイドルオタクをすることができなくなったのはやっぱり寂しいな~~~と無限に思う。
絵が歌って踊ってても、それは絵が歌って踊ってるな・・・にしかならないのは、「キャラクター」と「人間」を完全別個体として見てる人間の悲しい(?)性・・・中身がだいすきな根本凪さんだとしても、自分がアイドルオタクとして本気で夢中になっちまうぜ〜!となるには、どうしても生身の肉体がもつ躍動感とか生命感とか、そういうのを求めてしまう(キモいな・・・)。
しかしまあ、アイドルオタクをしたいならば、世界にごまんといるアイドルの中から素敵な人を見つけて、その人のオタクをすればいいだけの話で。
今のVTuber・根本凪さんを通して、アイドル・根本凪さんを見ようとすることは、それすなわちただのアイドルオタクゾンビをすることと同義で、な~~んか自分としては卒業公演で感じた大切な気持ちを無下にするようで嫌だ。
自分にとって、アイドル・根本凪さんのオタクでいた時間は、アイドルオタクとして過ごした時間の中で最も幸せな時間だった・・・にしたいな~~~と思える程度には、あの時間は特別で大切なものになったし、今の根本凪さんを好きでいる時間もまた別のベクトルで大切にしたいと思えている。
卒業前あんなに色々考えすぎて鬱になってた時期を思うと、これって結構ガチでスゲ~~~~~~~~~~ことです・・・・・・
それに、次元移動を果たしたねもちゃんを見ている中で、新たに発見できた幸せが確かに存在する。
だいすきだった根本凪さんのスーパーキュートルッキングフェイスやフォルムやダンスが見られなくなってしまったことは寂しいのだが、七神マナ様デザインのVTuber体を手に入れたことで、根本凪さんが自信をもって自分のことを「かわいいでしょ~!」と言えるようになっているのを目にしたときは、思わず涙ホロリ不可避であった。そう、かわいいんだよ、ねもちゃん・・・・
やっぱり私がだいすきになった人が、私がだいすきになったその人のことを、どんな形であれ肯定して好きでいてくれてる・・・という事実は率直に健康にいい。
(本来アイドルとしてはあまり表で言うべきことではないのかもしれないようなネガティブすらも、素直に発信していた根本凪さんだからこそ、アイドルという枠組みを超越した概念みたいな部分まで好きになっちゃったんかもな~とか思うと本当にどうしようもねえオタクだ、自分・・・)
何よりも、私がだいすきになった「根本凪さん」はやっぱり「根本凪さん」なんだな~と思える部分が変わらずにそこに在り続けていることがすごく幸せだ。
経歴も名前もそのままに、Twitter等のSNSアカウントもそのまま継続してくれたことで、こちら側が暗黙の了解によって前世を投影するなんてことにならず、ただただあのとき好きになった「根本凪さん」を好きでい続けること、はたまたあのときが好きだったなあみたいな思い出に浸ることまで、幅広く許されているようでとても居心地がいい。
まず自分を大切にして、みんなを大切にして、その上で今までを大切にして、自分を大切にしてくれる人の近くにいたい・・・根本凪さんがVTuberとなる道を選んだ原点とも言える部分が保たれているからこそ、私も自分を大切にしながら、自分が好きになった根本凪さんを好きでい続けられているんだろうな。
ちなみに正直な話、最初(ガチの最初、1週間くらい)こそ、義務感・・・というか、アイドルの根本凪さんが好きだったんだからVTuberの根本凪さんも好きになれるはず・・・みたいな気持ちがあったのも事実。
(意外とオタクの皆さんの切り替えが速かったりしたため・・・)
だけど。
アイドルという美しい存在ではなくなってしまって、次元も移動してしまって、存在としては遠い場所に行ってしまって、それでもだいすきな人がだいすきな人のままで、私の世界をキラキラにしてくれているって事実が変わらないということは、私にとってはすごく嬉しいことで、幸せなことなんだなあと
ねもちゃんが最初に言っていたような「もっと柔軟にみんなの近くにいて楽しんでもらいたい」って、こういうことなのかなと 気づかされた。
結局、根本凪さんのことがだいすきなんだよな~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ってことですね。
こんなにだいすきな人に出会えることってもう本当にきっと、ないんだよ・・・
アイドルとキャラクターのことしか好きにならんどうしようもないオタクなのに、結局どっちでもないよくわからん存在になった根本凪さんのこと、好きだなあ~~~~~になってんだもん・・・
私のことを変わらずにちゃん付けして呼び続けてくれて、私が描くイラスト大好きって言ってくれて、毎日が楽しくなっちゃうような話を一緒にし続けてくれるねもちゃんのことが、ああ本当にだいすきだなあって また思い直せたんだもん・・・・・・
好きでいさせ続けてくれてありがとう、なんだよな。
VTuberの根本凪さん、幸せそうだよ
今の根本凪さんは、やりたいことをたくさんやれていてとっても楽しそうだ。
アイドル時代からずっとアイデンティティとしてきたイラストや衣装デザインも勿論だし、
9月30日には念願のソロEPアルバムを発売することも発表された。
転生して初めてのソロ・オリジナル曲たちの中には、根本凪さんご本人が作詞をされている楽曲もある。作詞も趣味の一つでいらしたから、また好きをお仕事にしていて、とっても楽しそうで素敵だ。
こちらはそのオリジナル新曲の中から、『コーヒー・スピカータ!』と『×○×○♡ソーダ』を初披露した歌枠配信の動画。
根本凪さんがイラストと共にアイデンティティにしていた歌だが、今の根本凪さんが今の環境の下で歌いたいこと、歌いたいものをコンセプトからガッチリ組んで歌っているので、本当に本当に楽しそうで、見ているこっちが幸せになる。
思えば、話したいことをひたすら話して話題がコロコロしまくる配信をしていた時もライブで歌っていた時も個展で作品を披露している時も初めての演劇に挑戦していた時も、どれもこれも全部、根本凪さんがやりたいことを楽しんでいる姿はキラキラしていて眩しくて、とても幸せな気持ちになれた。
元々根本凪さんの歌声は大好きだけど、楽しそうに歌いたい歌を歌っている姿込みで大好きだから、今回のEP発売に伴って、楽しそうに歌う根本凪さんがたくさん見られて本当に嬉しい。
ア~~~~~~~聞いてるか~~~~~~~~~!!!?!?!?!?!?1月11日の自分~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!
THE IDOLM@STER SideM 6th LIVE TOUR Side TOKYO Day2とJOHNNYS’ IsLAND THE NEW WORLDを観て帰ってきて爆睡してたら卒業発表されてて情緒ジェットコースターなってしまって一晩中泣いてその日の夢ではねもちゃんがメンバーに囲まれながら卒業ライブをしている光景を見てしまった自分~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
アイドルを辞めた推しを、「アイドルを辞めたから」と見捨てなくて本当に良かったな〜
VTuberになった推しを、「VTuberになったから」と見捨てなくて本当に良かったな〜
今となっては心から こんな素敵な未来があったことが幸せだと思える。
アイドルの根本凪さんが本当にだいすきだった。
そして今は、根本凪さんが本当にだいすきだ。
*参考*
*根本凪さんの最新情報はこちらから*
(ねもちゃ~ん・・・書きました・・・)