読んだ本の話その11
読んだ本の紹介をします。
最初に余談を少し。
毎回の記事で、その本の表紙が記事上で見えるようにするためにamazonのリンクを貼ってるのですが、最近amazon側の障害(?)で表紙が見れなくなっていると知りました。
本を読む時はもちろん、選ぶ時にも表紙は大事な要素だから、、、と思って貼っていましたが徒労に終わっていたと気づいたところです。
いつかは復旧すると思うので、気にせず貼りつづける予定ですが。
それはさておき、最近読んだ本は書きたい欲がわいてくるような本たちで助かります。
以下本文です。
中年クライシス(河合隼雄)
評論。
オードリーの若林の本の中で紹介されていたのがきっかけで選んだ。(『ナナメの夕暮れ』という本です。こちらもいずれ書きます)
日本の文学作品12作を作者が読んだ上で、それらの登場人物の様子になぞらえて「中年」について語る本。
タイトルこそ「中年」であるが、中年に限らず自己認識の変化に差し掛かっている人間であれば関心を持って読める内容。20代でも十分役に立つ。
自分が読んだのは「中年クライシス」という本で、1996年に刊行されたものだが、現在は2020年に「中年危機」と題を変えて刊行されたものがあるらしいので、そちらの方が解説等が現代的(?)になっていると思われる。
題材の作品が夏目漱石や大江健三郎などの普段の読書では読まないような作品だったのと、そもそも表現自体が難解な箇所もあるので、理解度でいえば20%くらいのものだが、なかなかに真髄を捉えているような表現が多く印象に残った。
印象に残った箇所がこちら。
「すっきりとした解決」というのは誰しも望むものであるが、中年の「解決」はそんなものではなく、そこに新しい課題が上乗せされ、それに向かっていかなくては、という形の「解決」となることが多いのである。何のかのと言っておれない、ともかくこれに立ち向かっていかなくては、と思い頑張っているうちに、古いことは解消してしまう。
広津和郎の神経病時代に関する論説の一節。
問題に直面すると、それを「どうやって解決するか」を考えるのが普通である。しかし生きていくことは取捨選択の連続であり、「何を問題とするか」自体も問題解決の一環と捉えられる。
問題を解決しないで放置することが常に是であるわけではないが、解決できなくてもなんとかなる、という体験はそれほど珍しいものではない。
人生の時間は有限である。粘り強く一つの問題の解決に取り組むのも大切であるが、あまり気にしないで放っておくということもまた大切かもしれない。
こう書きましたが、やはり粘り強く一つの問題の解決に取り組むことは当然ながら大切だと思います。そうしないと学べないことはたくさんあるので。
ただ、何に力を注ぐのが大切かということを考えることも同じように大切なことだと思うところです。
今回は以上です。
お読みいただきありがとうございました。