モンゴルの平原で出会ったある犬の話
モンゴル旅を整理をしている。
膨大な数の写真たちを記憶と共に少しずつ整理している。
SNSでの情報発信はもちろん大切だけれど、それ以上に自分の気持ちにしっかりと区切りをつけるためには時間が必要だった。
自分の中である1つの思いを巡らせる時には、僕は必ず時間を置く。
時を置いて、無駄な記憶が削ぎ落とされ、記憶が断片的になっている時の方が自分の思いが入り込む余白ができて書きやすい。
今回はモンゴルで出会ったある犬の話を書こうと思う。
遊牧民と暮らしている家畜とバンカール達は、毎日水を飲まない。
2日に1度のペースで水飲み場まで往復して水分を補給する。
モンゴルはとても土地が乾燥していて喉が乾きやすかった。
そんな土地に暮らす彼らが2日に1度しか水を飲まないというのだから驚いた。
やはりその土地に適応しているのだなと思った。生き物達は強い。
片道4kmの道のりを歩く。
バンカール達は家畜の護衛であちこち行ったり来たりしながらも群れについていく。
牧畜犬は牧羊犬と違い、群れを集めることができない。あくまで護衛なのだ。
そのため、羊達の群れは徐々に広がっていってしまう。
それをまとめるのは10歳のミッシェルの仕事だった。
モンゴルに来て、何度も子供が仕事をしている姿を見た。時に馬に跨り羊を集め、時にドリンクを売りつけにきたり、時にバイクに乗って羊達を追いかけている姿も見た。
遊牧民の子供達は、本当に働き者だった。
ミッシェルも嫌な顔1つせず、むしろ家畜達との移動を楽しんでいるように思えた。
茹だる暑さの中、広がる群れを少しずつまとめながら、壮大な風景の中をバンカール達と歩いていく。
1000年以上も前から変わらず続く光景に、僕は夢中でシャッターを切っていた。
バンカール達はとりわけミッシェルによく懐いていて、彼女の周りをついて回りながら、時折思い出したように先頭に立って護衛をしていた。
ミッシェルもお気に入りのキャラクターが描かれた小さな鞄を1つ持ち、その中に入っていた僕たちがお土産で買ってきたチョコレートを嬉しそうに頬張りながら、時に羊達にもあげていた。
そのうち鞄を羊の首にかけ、キャッキャと笑いながら走り回る。
2020年代を子供として生きているミッシェルが見ている世界は、きっと都市で暮らす同年代の子供達と全く違う世界なのだろう。
どちらが良い悪いの世界ではなく、僕はただただ喜ぶミッシェルを見ているのが嬉しかった。
1時間半ほど歩いただろうか。急な出発で水を持ってこなかった僕は喉がカラカラになっていたけれど、家畜達の移動があまりに美しくしばらく喉の渇きも忘れていた。
水飲み場に着くと、バンカールや羊達が嬉しそうに水を飲み始めた。
ずっと砂漠地帯のような場所だったのに、ここは何故か緑が生い茂り、水が湧いていた。
嬉しそうに水を飲む羊達に目をやっていると、1頭の犬が伏せているのに気がついた。
真っ黒でパサパサとした被毛、目ヤニで開かなくなった眼、犬の周りに集まる大量の蚊。
僕はすぐにこの犬が死にかけているのだとわかった。
羊達がきても、動く気力がなく、その場でじっとしている。
僕は言葉を失って、その犬のことをずっと眺めていた。
「おそらく近くの遊牧民の所の犬だろう。彼はこの場所を死に場所に選んだんだ」
彼のすぐ近くには水があった。きっと少ない労力で水だけは飲める位置に自ら行ったのだろう。
目ヤニでうまく開かない眼で彼はあたりを少し見つめ、そしてまた伏せてしまった。
「これが彼の運命なんだ」
遊牧民の彼がボソッと言った。
僕にはこの光景が不思議でたまらなかった。
誤解を恐れずに言えば、何かとても美しい光景のようにも思えたのだ。
彼の後ろには羊達がいて、彼らは今日を生きようと水を飲んでいる。
その前で、死を迎えようとしている犬が1頭佇んでいる。
生と死。その2つが同時に存在しているように思えた。
きっと彼も数年前はこの大草原を走り回っていたに違いない。
そして何度も何度もここの水を飲み、彼はきっと生きてきたのだ。
最後を一人で死んでいく彼を、僕は惨めだとは少しも思わない。かわいそうだとも思わない。
彼の犬生は素晴らしいものだっただろう。
単純に彼の順番が回ってきただけなのだ。
きっと僕にもそのバトンが回ってくる日がきっとくる。
その時に、僕は彼のように全てを受け入れられるだろうか。
彼の生き方に自分自身の生き方を重ねずにはいられなかった。
大自然に生き、大自然に抱かれ、大自然に命を奪われていく彼の命。
でもきっとその命は無駄になることはないだろう。
彼の体はまた土に還り、土壌の栄養となり、大地となり、草花を育て、その草花を家畜達が食べるだろう。
彼の命はここで終わりではない。自然の輪廻の中でまた新たな旅が始まるのだ。
そんな光景をまるで当たり前かのように受け入れている家畜達や遊牧民達。
死が当たり前にある生活の中で暮らしている彼らには、特別珍しい光景でもないようだった。
生があれば死もある。
そしてその2つは光と闇のような対象的な関係ではなく、同列に在るものだった。
バンカール達に羊のミルクを与える準備をしている。
バンカールは一目散にこちらへ走ってきて、ぐびぐびと飲み始めた。
その光景をその犬はじっと見つめていた。
何を思うのか、食べ終わる時まで彼はじっとその様を見つめていた。
自らが動く気力もない中で、彼は全てを受け入れているようにも思えた。
時の流れの不思議さと、命の神秘を垣間見た。
小1時間が経ち、家畜達に十分な時間を取った後に、僕たちは再び来た道を戻っていった。
少し歩いてから、振り返った。
そこには水の湧き出る砂漠の楽園に一人、佇む彼がいた。
僕はそっとシャッターを切った。
きっと彼は今頃生き絶えただろう。最後の一時しか見ていないけれど、僕は彼の犬生を誇りに思う。
その光景を、僕はきっと生涯忘れることはないだろう。