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いい人キャンペーン

これは今年の10月に書いて、ずっと表に出さなかった記事。

実は12月のこの1週間、色んなことがあって色んな人に会って色んな話を聞いて、改めて自分を見つめ直していた。

いや、見つめ直すなんて格好つけだな。落ち込んでいた。

ただただ、自分の不甲斐なさに打ちのめされていた。

こうした経験は1度や2度や3度ではない。

僕は定期的に自分で自分に打ちのめされる。そしてそこから這い上がろうともがく。

逃げてしまえば楽なのに、心と体の整合性が取れるまで僕はずっと溺れる方を選んでしまう。動けない。

逆に心と体の整合性が取れている時は面白いくらいに前に進む。

信号が全部青になった感じ、映画千と千尋の神隠しで千尋が湯婆婆の部屋に強制的に吸い込まれて、全部ドアが開いてたあんな感じ。

話がそれた。そんなこんなでnoteの下書きに眠っていた過去記事が今の自分に大切だと思ったのでここに残します。

以下、今年の10月に書いたものです。


僕は昔から「人からよく見られていたい」という気持ちが強い。

幼少期から親や先生に褒められることが大好きだったし、褒めてもらえる為に生徒会、学級委員長は率先して行い、テストの点数はいつも上位だった。

そこそこ良い高校へ行き、そこそこ良い大学へ入った。

親や教師に引かれたレールをただ従って歩いた。

自分の青年期は「人からよく見られていたい」という願望そのままの生き方だったように思う。

この昔の気持ちというのは厄介なもので、大人になった今でも僕は良い人でいようとする癖がある。

謙遜などではなく、僕は本来全くいい人ではない。

他人にさほど興味がないし、自分勝手な解釈や行動で人に迷惑をかけてきたことがたくさんある。

基本的に大雑把な性格で気分屋なので、感情がぐわんぐわんになる事が良くある。要はとても子供っぽいのだ。

良く優しいねと言われることもあるけれど、それはきっと表面的な自分で内面は冷たい人間だなぁと思う時の方が多い。

良い人でいたいと思っている人なのだと思う。

以前、とある方から「中道くんは最初の印象が1番いいね。その後から徐々に落ちていく」と言われて、ショックで落ち込みまくった時期があった。今でもその言葉を思い出すと、心がキュッとなる。

でも、心のどこかで図星だと思っていたからこそ落ち込んだのだと思う。

これはもう自分の癖みたいなもので、つい良い人に見られようと面倒なことを引き受けてしまったり、気持ちを大きく見せようとしてしまう。

タレントのイモトさんが、書籍で同じようなことを書かれていてイモトさんはこの時の自分を「いい人キャンペーン」と呼んで自らを俯瞰していることから僕もこの言葉を脳内で使うようになった。

日常を終えて、一人の時間になるとあぁ今日も良い人でいようとしてしまったなと一人落ち込んではまたそれを繰り返す。

そう思った時に、自分のTwitterのつぶやきや画像を見返していたら何だか気持ちが悪い、良い人オーラ全開でいようとする自分に心底鳥肌が立った。

もちろん、犬や自然、動物が好きなことに嘘はないのだけれど。

こいつの対処方法はいまだによくわかっていない。

ただ、今自分が良い人でいようとしているなーという客観視だけはいつも見逃さないようにしている。

なんていうか、もうちょっと肩の力を抜いて、自分そのままの姿でいたいなと日々思う。

自分が犬や動物や自然に魅かれるのは、彼らは一切着飾っていないからなのかもしれない。

良い人でいようなんて、彼らは微塵も思ってないし、そこに咲いている花も草も木もそんなことを思っていない。

だからこそ、自分にはない彼らの存在に強く魅かれてしまうのかもしれないな。

自然体でいたいものです。

お前はいつもありのままだ。ありのまま過ぎる。

それと、noteの更新をSNSで告知するのを一旦やめました。

誰かに向けて書くのではなく、自分の本当に思っていることを忌憚なく書き残していこうと思ったからです。

でもたまに告知するかもしれません。しないかもしれません。

たまーに覗きに来てみてくださいね。

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