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そうか、君は生きられなかったんだね

夏が本番を迎えた。

今年の夏は暑い日が続いていて、数日だけ暑くなると言われていた北海道の気候はもう過去のものなのかもしれない。

夏になると様々な動物たちが家の周りに集まってくるのだが、今年はそれが多すぎた。

家の前のウッドデッキには鳩が何羽も巣を作り、毎日糞がウッドデッキに溜まっていた。
デッキブラシで掃除をするのが日課となったが、まだ1家族くらいなら可愛げがあったが今は気づいたら10羽以上集まってきている。

これ以上糞が酷いとトリコモナスという人畜共通感染症があるので、今いる雛たちが巣立ったら塞いでしまおうと思っている。

さらに酷いのはコウモリだ。毎年屋根裏で子育てをするのだが、24時間子供がギャーギャーと鳴いていて、さらにはコウモリの糞が屋根から部屋に落ちてくる。

これには毎年ストレスを感じている。30分ごとに掃除機をかけて、夜は部屋の隅っこで落ちてくる糞を吸い込まないようにマスクをして横を向いて寝る。しかもギャーギャーと鳴く声で頻繁に目が覚める。

さらには大量に発生するアブも大敵だ。
部屋の中にこそ入ってはこないが、一度外に出ると大量のアブが全身を覆い尽くす。白のTシャツを着ていても遠目から見たら黒いTシャツを着ているように見えてしまうんじゃないかと言うくらいの大群で、口を開けていると中に入ってしまい地獄になる。
どんなに急いで車に乗っても最低でも10匹は中に入ってきてしまう。

さらに今年はスズメバチも近くに巣を作ってしまったようで、毎朝5、6匹部屋に入ってきては箒で叩き落とす日々だった。

巣を駆除してもらったが女王蜂が見当たらず、懲りずにまた同じところに巣を作るのだ。
寝ている時に喉にスズメバチが止まって、寝ぼけて潰してしまったがもし喉を刺されていたら流石にやばかったかもしれない。

それに加えて室内は30度超えの猛暑だったので、今年は特に酷かったなと思う。
自然のそばで暮らすことは、やはりそれ相応の覚悟をしないといけない。

でもそんな生活ももうすぐ終わりを迎えようとしている。

朝の風が、明らかに変わった。秋へ向いたのがわかる。

こうなると俄然元気になってしまうのだから、やはり僕の体は北海道に向いているんだなと思う。

自然が多いところは当たり前に生き物も多く、それ故に散歩をしているとたくさんの生物に出会う。

鹿はもちろん狐やウサギ、様々な野鳥たち、時にはヒグマも。


散歩中に出会ったユキウサギ
夕暮れに染まるエゾシカ
屋根裏でせっせと巣作りをする鳩

僕の周りにはたくさんの生命で溢れ、それを実感する度に僕はいつも豊かな気持ちになる。

人間以外の動物たちが暮らしている、とわかるだけで何故かとても癒やされるのだ。

そして時には死んでいる生き物にも出会う。

ある時、雨の日に部屋で本を読んでいたら、ドサッと雨音に紛れてあまり聞いたことのない音がデッキから聞こえた。

なんだろうと思って見たら冒頭に書いた鳩の巣が屋根裏から落ちてきてしまったようだった。

屋根裏はへの字に斜めになっているので、何かの拍子で滑って落ちてしまったんだろう。

巣には雛がいるはずだからどうなったんだろうと思って見に行くと、雛は少し動いたが、すぐに事切れてしまった。

状態から見ても、恐らくは落下の衝撃で死んでしまったのだろうか。

僕は手袋をはめて巣ごと雨の当たらない場所に移し、次の日に埋葬した。

埋葬といっても牧草地へ置いただけ。

すると、次の日にはちゃんと跡形もなくいなくなっていた。

散歩中に出会った死んでしまった動物たちも、ほぼ例外なく次の日にはいなくなっていた。

誰かの死が、ちゃんと誰かの生につながっていた。

自然の側で暮らしていると、死が自分達の周りに当たり前のものとして存在しているのがよくわかるようになる。

それは死に無頓着になっているわけではなくて、あぁ世界はそうやって回っているんだな、とどこかでストンと腑に落ちる感覚だ。

だから死んでしまった動物たちを見ても、そうか。君は生きられなかったんだね。と思うだけで必要以上の悲しみは湧いてこない。

先述した鳩の雛も、すぐ隣の巣では無事に雛が育っていた。

たった数十センチ。たったそれだけの事があの雛を死に追いやったのだ。

僕たちはつい死は生の反対だと思ってしまうけれど、実は死とは生のすぐ隣にあるものなんだとこっちへ来てから理解する事ができた。

生きることと死ぬことの境界は、本当に微妙な差異しかないのだ。

死を身近に感じることの意義は、生を実感するということだろう。

周りでたくさんの命が日々、産まれては消え産まれては消えを繰り返し、それを見ていることで自分にもいつか消えてしまう時が来るのだと本能的に理解できる。

でもそれは全く悲しいことではなくて、むしろ今日1日を精一杯生きようと思う勇気を与えてくれるものだ。

自然と共存、とか自然と共生と言った美辞麗句には全く興味はないが、自然の側で暮らすことで色々と見えてくる事がある。

生き物は死んでその生き物を誰かが食べて、そうやって自然は回っている。

小学生の頃に習ったその事実はもはや自明のものであるが、その当たり前をきちんと現実として知れることが今の僕にとっては堪らなく嬉しいのだ。

これからもここで暮らし、時に遠い旅に出て、時に死を身近に思い、自分の生を謳歌しようと思った。

それが彼らから学んだ、自分なりの向き合い方だと思っている。


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