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森を歩くこと

気づけば下書きが14個も溜まっていながら中々更新できなかったnote。

最近、色んな方からnoteの更新楽しみにしてます!と言われたり、noteを見てます。と言って頂けたりと案外noteを見てくださっている方が多いなと思い、少し更新を頑張らねばと思っているところです(思ってるだけ)

さて北海道は秋も終わりに近づいてきて、早くも冬の気配が漂っています。

秋は本当に早く過ぎ去ってしまうが為に、撮影も忙しく、毎日のように撮影で山やら町の宣伝写真で撮影スポットを飛び回っておりました。

自分の作品撮りも併せて進めている中で、山へ入ることも多い。

今期狙っている撮影シーンがあるが、相手は自然。なかなか思う通りにいかない。

昨年、森の中の歩き方を教えてもらったハンターさんとの会話を思い出しながら森を歩く。

ある日の朝のこと。いつものように日の出前から山へ入る。

この日は気温がマイナスになり、霜もおりていた。吐く息も白く、寒さが気持ちをより一層引き締めてくれる。

森中に響く鹿たちのラッティングコール。

鹿達は今が繁殖真っ盛りなのだ。

秋の森は本当に美しく、熊がいる恐怖よりも少しだけ中へ踏み入る好奇心を煽ってくれる。

歩けばすぐに汗ばんでしまい、服を脱いで調節するために腰を下ろす。

風が吹けば落ち葉が舞い、川の流れの音はいつまでも聴いていたくなるくらい心地がいい。所々で紅葉しており、中には見事に真っ赤に染まる木々もあって本当に美しい光景に見惚れてしまうこともある。

奥にいくと樹齢100年はあろうかと思えるような立派な大木もあり、思わず触れたくなる。

もの言わぬ木から、なんとも言えないパワーをもらえる気がするのだ。

誰にも見られていないのに、立派に佇む木々や自然から僕はいつも元気をもらっている。ただ純粋にそこに在るというだけでこんなにも人を感動させる自然とはなんなのだろう。

いやむしろそっちが本質で僕が偽りなだけなのかもしれない。

くだらない承認欲求、社会的成功、将来に対する漠然とした不安や恐怖。

そんなものに支配されている自分はやはりどこまでいっても未熟者だ。

僕の生き様なんて、目の前に小さく生えた草一本のそれにも遥かに及ばないものだ。

僕も僕自身が純粋に、ただ生きていたい。

そんなことを思いながら山を行く。

森の中にいると、今自分は自然の中にどっぷりと浸かっている。

その感覚がとても嬉しかった。

こんな暮らしがしたかったんだ。こんなことがやりたかったんだ。

いつもいつも森へ分けいるだびに、喜びと感謝の気持ちが湧いてくる。

自然という純粋なものに囲まれると、自分の気持ちまで純粋に研ぎ澄まされていく気がする。

色んな思いが出ては消えを繰り返し、僕は森の奥へと入っていった。

川沿いの斜面をゆっくりと歩きながら、動物を探す。

コゲラやアカゲラが忙しなく木をつつく音がこだまする。自然の作り出す音は全てが美しい。

ふと沢の方を見下ろすと狐が水を飲んでいた。

蛇口をひねればすぐに水が出てくる僕たちと違い、動物達は水をも自分たちで獲得しなければならない。

ただ狐が水を飲んでいるだけの光景なのだが、僕にはそれが自分と野生とを分ける大きな隔たりに思えてならなかった。

現代社会にどっぷりと浸かっている自分を少し情けなく思いながら、僕は歩みを進めた。

カラ松の黄葉も少しずつ始まっている。

ふと木に目をやると熊の爪痕があった。

そんなに新しくはないだろうが、このエリアにいるのは間違いなさそうだ。

景色に見惚れていた気持ちに喝をいれ、再び歩みを進める。

川に下りた。あれだけ騒がしくいたサクラマスや鮭たちも、すっかり姿を消してしまった。

彼らはどこへいったのだろうか。

きっとこの森の一部になったに違いない。

姿こそないが、どこかに彼らの気配のようなものを感じるのだ。

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日が昇ってきて、森の中まで光が差す。

気温差で川から毛嵐が舞い、幻想的な光景が広がっていた。

その中をヤマセミが鳴きながらすごい速さで通過していった。

僕以外の全てのものが山では完璧な存在だった。美しい。

毛嵐を撮ろうと場所を移す。川の中のゴツゴツした石に足元をすくわれそうになりながら、カメラだけは落とせないとバランスを取る。

水を漕ぐ音を立てると沢の上の方で何かが動いたのが見えた。

大きな雄鹿だった。カメラを構える暇もなく一瞬で僕を見て逃げていった。

僕のエリアの鹿や熊は人馴れしていない個体がほとんどで、とても警戒心が強い。

よほど風の向きや動きに気をつけていないとあっという間に逃げられてしまう。

自分がいかに自然の中に溶け込むかが大事なのだ。

焦らないこと、音を立てず、ゆっくりと。結果ばかりをすぐに求めずゆっくりと自然と同化する過程を楽しめないと、彼らに近づくことはできない。

僕はまだまだ未熟でつい歩きが雑になってしまったり、気を抜いてしまって、大概そういう時こそ動物が近くにいて逃げられてしまうことがほとんどだ。

もっともっと自然に溶け込まないといけない。でも、その課題はとてもワクワクするものだった。

森から無事に帰って犬たちに会えると、あぁ今日も生きてるな。ありがたいなと思える。

手足も動く、目も見える。温かい布団で眠り、美味しいご飯を食べ、愛する人たちと時間を共有できた。

幸せのハードルが下がる気がする。

絵空事ばかりの世の中で、表層ばかりが撫でられる世の中で、自然はいつも本質を真正面から突きつけてくれる。

それは、自分の生き物としての本能のようなものを呼び起こしてくれるのだ。

社会的時間軸やルールから外れてものを見ること、もっと大きなリズムの中で物事を考え、捉えていくこと。

自分の中で少しずつその感覚が開き始めている。

その感覚を自分で感じれることが、何よりも嬉しい。

写真はその結果にあると思っている。

僕の大好きな写真家の今森光彦さんが著書でこう書いていた。

「写真というのは最終行為ではなくて、ある地点に向かう時にポロポロと排出されるものです。」

僕も全くその通りだと思う。

写真を撮るために、写真を撮っているのではいつまで経っても僕の思う良い写真には辿り着かない。

それではこれまでと何も変わらないのだ。

その為には1日でも多くフィールドに出ること。

犬たちと会話をし、彼らの話をちゃんと聞くこと。

自分自身と対話をする時間を設けること。自分に絶対に嘘をつかないこと。

自然から貪るようなことは決してしないこと。

そう自分に言い聞かせる。まだまだ未熟です。

でも自然に対しても写真に対しても、真摯でいたい。

北海道2年目の秋。少しずつ、でも確実に自然はその扉を開けてくれていってる気がします。

最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

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