承認欲求

「仕事をして、他人のために、何時間も使うと、自分に振り向いてくれない自分が叫び出して、承認欲求が出てくる。仕事の帰り道には、認められたいとか目立ちたいとか褒められたい気持ちで一杯になる。頭の中がハイになる。その溜まっている状態が嫌で言葉に落とすんだ。」と友達に言った。

すると、友達は、「承認欲求って悪いものなの?外に外に求めるっていうのは皆がしている普通のことじゃない?それに承認欲求がある人たちは、それをビジネスにもしている。でも、あなたは、中に中に掘り下げていくんだね。」と言った。

承認欲求とは悪いものではないのか…初めて知った。
加えて、疑問が出てきた。
「そもそも承認欲求をビジネスにするって何?ビジネスに利用するって何?それを売るってどういうこと?」
疑問に思った私は、翌日、自分の担当医に、友達の「ビジネスにする」という発言について尋ねた。担当医は、「自分のブランディングをして、いいね!と思ってもらって、タレントとしての自分や自分の商品を売って、お金を稼ぐ人もいるっていう話をしたいだけなのではないか。」と言う。

そこで、私は、昨日会った友達は承認欲求を味わったことがない人だと解釈した。だって承認欲求というのは、ビジネスのように形のある、現実的な問題ではないと思うからだ。自分がこの世に存在することに疑問に思っている人たち、自信のない人たちがいる。自分は自分を認めてくれないから、他人に認められることで安心し、満たされるようになるのではと企む。承認欲求とは、そういう心の問題で、お金儲けとは関係がないと思う。
ビジネスにする人たちは、”自分も、こんな良い感じになりたい”と思ってもらった他人から、お金を儲ける為に、”良い感じ”に、自分を飾るわけだから。
こういう人も、たまにいるかもしれない。本当は承認欲求が欲しくて、自分を飾った。その先に、意図していなかったけど、お金が舞い込んで来たという、偶然が起こったパターンも。しかし、本当の承認欲求の問題とビジネスは関わりがないと思う。

話が変わるが、私が、承認欲求を悪い物と無意識に思っていたのには、ある経験が関係している。外国の方と結婚した友達が頻繁に、主人との仲睦まじい写真をSNSにあげている。幸せそうな姿、上手くいってそうな姿、彫刻作品にありそうな彫りの深い美しい顔を持った主人と、”すごいとされている国”に住んで、人生勝ち組のような生活を送っている姿を披露している。基本、ネガティブ思考で、独身で、自尊心の低い私が、その投稿たちに心やられる。
しかし、その裏で、「なんで、彼女は、それらをわざわざ頻繁に投稿するのだろうか」という、奇妙で、おかしい、何かが合わない気持ちを感じていた。自慢の旦那さんから離れて、パソコンの前で、どのショットもかかさずに、夜な夜な投稿することに血眼になって時間を割いてる彼女の姿が想像できた。恥ずかしくなってきた。「彼女には強い承認欲求があるのではないか。闇を持っているんではないか。そんな物に私は染まってやるもんか。」という気持ちが強くなった。それで、承認欲求というものから逃げよう逃げようとしている。承認欲求が発生したら、その位置を、その顔つきを自分で見つけて、書いて、自分で消化してしまおうという生活を送っている。
ただ、今も、こうやって、自分にしか理解できない雑な文章とは違う、ある程度見せられる文章を、ここに書いている私も、承認欲求が出てる渦中にいる気がする。

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