見出し画像

防弾少年団を見て、自分を考える

3月10日、12日、13日に彼らの故郷である韓国でコンサートを行った。
約2年半ぶりにやっと実現することができた。
観客は声を出すことも、立つこともできなかったけど、観客のクラッパーの音が会場を包んだ。

私は、オンラインで参戦した。
いつかは会えるよね?と期待を抱きながら。

こうやって彼らは、全力で歌い、踊り、盛り上げている様子を見ていると、私は何をしているんだと思ってしまう。

コンサートぐらいは幸せいっぱいでいたいのに、もう一人の私が話しかけてくる。

彼らは、”たくさん”の言葉だけで表せないくらいの練習、仕事、悩みを抱えながら生きているのに、
私は、少しの悩みだけを抱えて「楽」を優先して生きている。
同じ世代なのに全く違う。困った。

人と比べても意味はないと分かっていながら、比べてしまう、私の悪いところ。

私は、頑張っているように見えて、決断する時はいつも「楽」を選ぶ。

そんな癖があると気付いたのは、高校生の時の文理選択からだろうか。

数学の先生が、大量の参考書を机に置いてこう言った。

「理系を選択する事は、この量の問題を解くことになります。もし、今の時点で苦手意識があるならおすすめはしません。ただ、努力をすることは、素敵だと思うので、一度考えてみてください。」

そんなことを聞いた私は、生物に興味があったが、文系を選択。
英語が得意だし、国際系に進めばいいだろうと、薄っぺらい理由で。

そして大学は、国際学部へ進んだ。失敗した。
(卒業した時は、この大学で、この学部で良かったと思ったよ)

「英語が得意」のレベルが私の思っていたのとは全く違った。留学経験がある人、TOEICが満点の人、外国で住んでいた人、英語ネイティブの人、そんな人たちばかりだった。

追いつこうとして、聴く曲を全て洋楽にして、携帯の言語も英語に変えて、独り言も英語で言うようにして、日常に英語を取り入れた。

だけど、私の英語力は平凡だった。
1年生の夏に受けたTOEICは650点。
(全然得意じゃないじゃないか!)

留学に行っても私は「楽」をしていたのか?
いや、この時だけは楽をしていられなかった。
夕方、大学を歩いて、英語を勉強していて一緒にお話ししてくれませんか?と話しかける。(=不審者だ)

週末は、Uberを使ってドライバーと話しながら買い物に行く。スーパーでも、これどこにありますか?と店員さんと話す。人がいたら話しかけていた
(やっぱり変な人だ。引かないでね)

人生の中で初めてがむしゃらに頑張ったかもしれない。
この時に聴いていた曲は「고민보다 GO」
歌詞の意味なんて調べなかったけど、ただ純粋に友達と踊っていて楽しかったし、辛い気持ちも忘れられた(呑気に踊ってないで、少しは調べてたらアメリカでコンサート行けたのに)

留学から帰国。そう、「楽」生活の再スタートだ。
(1年くらい離れただけでは、消えてくれなかった) 

とは言っても、バイトもしっかりやってたし、大学の成績はGPA3.0以下は取らなかったし、返さなくていい奨学金ももらえた。

私に待ち受けた最大の悲劇は、就活だ。
大学3年生の夏にインターンシップに参加するべきだと小耳に挟んだので、大学で紹介してくれたものに参加した。
(参加のための面接があったが受かった。やったね。)

だけど、私の就活は失敗し、契約社員で始まった。
正社員の内定を頂いたが断った。「楽」を選んだのだ。(契約社員が失敗というわけでは無い)

契約社員の方が家から近くて、残業ゼロ。

この1年間働いたが、やめる。
(もう少し我慢した方がいいよ、3年は勤めてみないと分からないよ、ということに関して考えた上での決断だ)

今仕事を探しているが、また「楽」が邪魔をする。
やめてくれ。

ただ、「楽」をすることが悪いことだとは思わない。しんどい事だけをしていたら心を失ってしまう。一度失ってしまったら取り戻すのは難しいから。

私のいいところは、自分にしっかり休暇を与えられるところ、しんどいなら立ち止まっていいよと言えるところかもしれない。

いや、ちゃんと心のサインに気がついていたのかはわからない。

だって、「Blue & Gray」を聴いて泣いたし、「Answer: love yourself 」を聴いて慰められたから。(他にも、たくさんあるけど、また今度)

でも、もう「楽」とはおさらばだ。金輪際現れないでくれ。

私も全力で自分の道をすすむのだ。頑張れ。自分。

そして、防弾少年団へ 
これからも末永くよろしくお願いいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?