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恋を我慢していた。風変わりな真面目さ。~私の不器用な【命題】。~

恋を我慢していた。そんな私の花の(笑)20代から30代のこれまで。



ここだけの話、〝異常にモテたモテ期〞とやらも通過した。



ミソは、〝とにかく真面目振る〞(笑)(笑)。

〝棘の無い花〞のように、〝触れて怪我をするような女性でない〞ように、〝正しい人格〞に見せ掛ける。

それが、あるときは〝危うげ〞にも、〝儚げ〞にも、〝無垢〞にも映り、これが、結構ウケた。

20代は容易かった。

態とじゃない。(ただ、振り返って、そこに解釈を与えると、そのように説明出来てしまう、それだけで。)私は至極単純な人間で。〝正解を選ぶこと〞を何より一番だとしてきた。それだけだ。

しかし、30代にもなってくると、段々人間も錆びれてきて、方々で受けた傷跡も増えてくる。

徐々に、〝四角四面の真正直さ〞は、自分顔で振る舞えなくなった。

〝嘘臭いな〞。。。

いつしか、そう思うようになっていた。

〝真面目さだけが取り柄〞だった、〝生真面目〞な私は、過去に置いていかれた。

少しずつ、〝人間が狡く仕上がっていった〞。



この私の狡さとは、実は幼少期、その覚えはじめから存在するが、

一つは、けして〝楽な方を選ぶ狡さ〞じゃない。

〝選ぶ方が楽な方を選ぶ狡さ〞であって、両者は微妙にニュアンスが違ってくる。

時に後者は、〝難儀な方を選ぶ方が、後々楽なこともある〞が故だ。

為に私は、当初から後者の生き方を選択してきた。

〝今直ぐの楽チン〞じゃない。

〝丸ごと引っくるめて楽な方〞を進んで選んで生きてきた。

それは、要するに、〝理に適うか〞。。。〝モラルが通っているか否か〞。

俗に言う〝正しさがあるかどうか〞だった。

とどのつまりは〝真面目に通じる意味として流れ着いてしまう〞私。

それに、人生の紆余曲折、傷跡が添えられると。

もう一つ、選ぶ選択肢に〝味わい〞が出てきた。

所謂、〝もっと柔軟に〞。〝真面目さだけに拘らない〞で、〝程度良く見繕って、お気楽に済ます選択肢〞が増えたんだ。


今、自分の〝狡さ〞の話を少ししたが、

人間は、〝真面目〞という一言では、詳細を語れない。

若いときのように〝真面目さだけでは補えなかった〞ものが、後々出てくる。

人間が熟して装備を増やしてくると、自然にそうなる。

〝生きることにどのように真面目に向き合ったか〞が、私らしくそこに現れた。

35歳を過ぎて、ようやく〝真面目さ〞にも種類があると私は知った。


そんな私は、けして〝立派〞には、生きられなかった。

〝緩さ〞も、〝甘さ〞も、時に存分に必要な人生だった。

けして、俗に言う〝偉大さ〞、〝素晴らしい真面目さ〞は、そこにはなかった。

ヘラヘラと表面張りの作り笑いを浮かべて。

心にもない戯言、当たり障りのない無難な言葉を繰り出して。

モラルから手繰り寄せた、〝世間体という優しさ〞を演じることに勤しんで。。。

つまりは、〝体のよい〞〝その場凌ぎ〞を繕う真面目さだった。

それには、〝突き抜けた真面目さ〞はなかった。

あったのは、〝突き抜けて頑張らなくていい、全てが丸く収まる方法を真剣(真面目)に探す〞、〝狡さ(曖昧さ)〞だった。

突き抜けて真面目ではない私の正しさは、詳細に語ると〝狡正しい〞。

(反して、突き抜けた真面目さ〝正〞には、対面を排除しようとする作用が働く。)



この私だって、〝おかしいだろ〞と、他人に思うことを挙げれば切りがない。

しかし同時に、〝どちらともつかない、両者を捌く選択肢〞を探し取る私は、

〝是非どちらにも言い分はある〞、という姿勢。

要はこれが私の繰り出す〝狡さ〞。所謂〝曖昧さ〞だ。

どちらに肩入れするでもない位置から、

私の選択肢はこれらを踏み締めた上に存在する。

全てに言い分があるが故の、総じて成り立つ〝正しい幹〞が他所にはあって。

それは要するに、〝全てが丸く収まる可能性〞の選択肢で。

それが私の〝その場を無難に拾い上げるように歪曲された正しさ〞だったから。

本人は〝何処も誰も、責めているつもりがない〞。

両者を抱え込んで放した上での〝数ある正解〞なのだから。

けして〝唯一絶対ではない正解〞。それに私は、それなりの信頼を置いている。

〝万人に要求出来ない〞という要件を自分でよく知っていながら。

その解答に、けして弱くもない、強気な自信もある。

つまり、私の〝おかしいだろ〞には、まずはじめに、〝相手への許し〞があるのだが、

相手を認めた上で意見をしているつもりの私は、

〝間違えていることをしているつもりがない〞。

いつも私は、他者の通り道を確認しながら動作を選ぶ。

それは、〝自分の本音を仰々しく仕舞うこと〞が必須条件であり、

〝他者の、(最低限の)尊厳を守ること〞が、

私の中の規則だった。


そんな私のイライラは、周囲が、〝何の許しも理解も添えずに、エゴを通そうとする〞からだ。

〝当たり前に配慮することが当たり前でない世界〞が、私は今、心底憎めて止まない。

ついに半分くらい正気が壊れた私は今、

四六時中、周囲の人間と摩擦を起こさないギリギリのラインを低空飛行している。

一歩間違えば落下してしまう、〝最低ライン〞。

〝疲れた〞んだよ、私はもぅ。。。

〝世間の軸がこうならば、自分もそうしてしまえ〞と始めた〝尊大振り〞。

常に周囲は自らが主張を捩じ込んできて。

どうせ他人は自分を配慮してくれるはずもない。

ならばそぅ、〝自分だけでも自分自身を守ってやるさ〞。

私には、自分しか、〝自分を守ってくれる人間(味方になってくれる人)〞が居なかったんだ。家族以外に。



今私は、独特の〝威圧感を放ちながら日常生活を送っている〞。

その理由は上記の通りだ。

〝世間が恨めしい〞から。



そんな私は、〝自由に恋に焦がれる〞ことも出来なかった。

〝真面目さを拗らせて〞。。。

私は〝恋を我慢していた〞。。。

10代20代は、真面目が取り柄だけの未熟さから。

30歳からの背景は、病気と通院服薬だったけど。

元々、少し〝ひねくれている〞私は、

〝素直に他人と関わる〞こともしなかった。

私の真面目さは、〝自分に素直になること〞じゃなく、

〝物事の道理に添うこと〞を望んだから。

〝仲間外れを作らせないこと〞、それを願ったから。

個人のエゴを通すことは好まなかった。

だから、〝夢中で恋が出来なかった〞。


~風変わりな真面目さ~。。。それは、〝払い落とすものを極力絞った、別の解答案を探すしつこさ〞に由来する。

~本音、本心とは別の軸にぶら下がる、魂の課題~だ。

私は何よりも、この〝命題〞に忠実だったから。。。いつも。

自身のことだけを拾い上げることは勿論しない。

自分と周囲、拾い上げられるものは、なるべく拾う。

例えば、〝犯罪〞なんて、私はその事実に対して、にべもなく〝払い捨てる〞けど。


私の〝狡さ〞〝曖昧さ〞とは、〝相手の為〞引いては〝自分の為〞にこそある。

〝誰も裁かない〞。

〝事態のみを捌く〞。

それは、〝命を有しているものの価値を心底崇めている〞から。



〝狡く、何処か曖昧にして、独特の真面目さを持ち歩く〞のは、

なかなか、〝骨の折れること〞であったよ。

理解者なんて一人も居ないまま。

私は〝星の王子に想いを馳せる〞。

きっと、〝不浄な地球には住めなかった〞んだ。

と、自らも嘲笑いながら。

皮肉っぽい、不器用な自分を眺めてみる。

〝もっと素直であれたらね。。。〞

いつか何処かで掛けられた言葉を思い出す。


私のモラルは、、、簡単に理解されない。

例えそれが、花の10代、盛りの20代に、〝恋を我慢させていた〞としても。

私にはいつも、もっと〝恋より他に興味が向くところがあった〞から。。。それは今も変わらない。

常に〝正しく生きたい〞と望み、〝何者も排他せず〞と願い、〝残らず全てに正解を置いておきたい〞人生だった。

その判断は、思い掛けず、たくさんのものを拾わされ、その身が軋むほど、多くの重たいものが内に仕舞われた。

この私だって本当は。。。

星の数ほど広がる、一つ一つ、その命に。

どこも〝間違いはない〞と思えるのに。

私はいつも〝孤独だった〞。

いつだって、

誰も否定するつもりはないのに。理解を同じくする他者が何処を向いても居なかった。

いつか何処かで擦れ違って居たかもしれない〝お友達〞へ。このような話をする私を許して欲しい。



少し皮肉っぽい私が、心底望んでいるのは〝調和が取れた世界〞だ。

〝互いに互いを思い合う〞。

いつも、少し、周囲からズレている私の望むところは、自分の居場所を辛うじて取り繕い、まるで実態のないような日常をこなすことで。

本当は、私の居場所が、確かな許しと理解の元、他者と分かち合えることを望んでいる。



そんな私の我慢は、〝人を好きになることにさえ、許可を下そうとする〞よ。

〝笑えるでしょ〞。。。

〝命題〞。それは、

本心とは別の幹に実るもの。

何故ならば、人は、それぞれが〝一本の幹〞で、

沢山の幹に覆われた世界の、〝正式な答え〞は、

どの幹からも伸びていない。

〝世界の中心を通る、世界の芯〞だから。

それは、どの人からも伸びていない。

伸びていないが、私達は、その〝世界の芯〞に添って生き流れ、〝魂を叫ぶ〞。

心から流れて。。。理念から紡ぎ出す。。。

私は、〝本音〞と〝魂〞が、別にも存在することを知っている。

〝魂の音〞と、この世の様々な音を束ねる〝魂の言葉(課題)〞の、在処は違うのだ。

それは、その人の〝思考〞や〝思想〞が、放てるもの。

そんな考えにある私は、

〝他者の背を敬いながら、誰とも正面から向き合えなかった〞。

〝正面に回れば、言葉(思考)の戦いになってしまう〞から。

〝前に立てば、他者の通り道を遮る〞から。

〝相手の素直な音〞をかき消したくなかった私は、

いつも、〝背後から、他者の進路を見守った〞。

〝誰もが人間であることを知っているから〞、一定の距離を取って、必ずの位置、背後に回った。

〝どこにも神たる人間が居ないから〞、裏に回りながら、信念だけは曲げなかった。

~独特の縛りと、自我の解放~で、そこで私が選び出したのは、〝心の音を仕舞い〞、〝信念を通すこと〞で。

やはり私は、~恋を我慢していた~。


まるで私には、~もう一つの心があるよう~に。

その場で受け取る情報は混雑し、絡まり合い、

そこから選び出す解答は、他人から見れば、こんがらがっていたよ。笑ってしまう。

私はいつだって正直だ。

その正直さは、私に切り開かれた、~もう一つの真実を見抜く、ある種異端な趣の眼~だ。


そんな~風変わりな真面目さ~は、

時に〝他者からの理解を難しくさせて〞、〝自分自身を生き辛くさせた〞。

私は、そんな自分の〝命〞さえも、〝間違いではない〞と知っているよ。

〝他者に道を譲り〞ながら、〝自分の路を歩いてきた〞私は、なかなかに〝頑固〞である。

~小さな世界の均衡を図ろうとして、図らずも、違う視点を持たされてしまった私~。

この私にも、〝他者と変わりない価値がある〞というのなら、

〝他者の為にこそ使いたい〞のに。。。

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