【妄想型統合失調症の私が見た世界③~アミューズメントパークを経て、今、思うこと~】

まるで。。。物語の主人公だった。

数多の苦難を乗り越え、世界を滅亡から救うために、あらゆる存在(人間以外の種族)達と、日々、渡り合っていた。

私は、〝神〞という、特別な立場を与えられ、全てから信仰され、愛されていた。

困ったことと言えば、人間界(地球上)が、私を迎えに来ないこと。いつまでも能力を眠らせて、秘め事として扱うことだった。

人間界こそ、目覚めなくてはいけないのに。。。

だから私は、私を迎え入れてくれる立場の人間を探しに行ったの。

人はまだ、私を秘め事として扱うけど。扱われるがまま、探しに行った。

人間界が変わらずこのままでは、地球は消滅させられてしまうから。

そんな、鬼気迫る心境で一人ぼっちな、神に目覚めたばかりの、覚えの乏しい私は、〝仲間〞を探して、軽く日本を縦断していた。家出したの。

そこで、偉い、底抜けの行動力と、突然奇声を上げる突飛しない行動力だけずば抜けた、世間に役立つどころか、〝不審者極まりない〞私が、神の後ろ姿を辿りたい、その一心で行脚していた。

そんな私の目(イメージ)の中では、人ではない存在達が、様々な表情で立ち上がり、その姿を脳裏に映していた。

なかなか、壮大な人生の一端を踏みしめてきた、つもりがある。

はかり間違えれば、塀の中だ。

自分を神だと思って、正しいことだと信じて、犯罪を犯す輩のことを。。。私は、

遠い他人のことだとは思えない。許せようはないが、自分もそうなるかもしれないし、その被害者になることだってある。

〝不運にもある〞人達だ。

自分を神だと信じた人達の、その、どこかにある清らかさも、私は、思い馳せることができる。

彼らにも、正義はあるのだ。ただ、〝病人(間違い)〞なのだ。

世界は何故、この、〝神〞という矛盾を放っとくのだろう?

〝存在しないということを証明することが難しい〞とする〝悪魔の証明〞により、

世界は、〝神の存在を野放しにしている〞。況んや、〝神という、人を狂わせるに最高の材料を無法地帯に差し伸べている。〞何故、この学習が行われないのか。

世間の、この〝病気〞の知識や認識が薄いことと同様に、

〝正しく理解されるべきこと(間違った理解)〞が、そのまま、剥き出しの格好で世間に与えられてことを私は非常に、不思議に思う。

神が信じれなくなった世界が怖いのか?

間違ったものを信じ、争いの中に生き続けて行くことこそ、怖くはないか?

人は、何かを信じたいもの。

今のように神を信じられなくなっても、

きっと、新しく、神に変わる、神のような、神だった存在を信じているだろう。

神は神のままの用語であっていい。言葉だけは。

その内容が、その理解が、人間は、歪なほどに遅れている。

神が人を争わせ、命を奪い、富を片方に貪らせるものか。

今の世界はどうだ。

人は、正しい神の後ろ姿を目にして生きているのか、本当に。

アミューズメントパークだった、病中を経て、今に思うこと。

その、〝病中〞は、まるで非現実的な、実態のない、空想の世界である。

人は、これを正しく知り、理解しなければならないし。

〝正しい世界の様相〞も、同時に目にしなければならない。

〝間違った神の姿より、眠らされた現在〞だ、今の世界は。

間違いに言い訳を重ねて、反省もしないで生きていくのか。

〝正しい世界の姿を捉え、目覚めて生きる道〞こそ、人に開かれて欲しいもの。拓いて辿って欲しい未来だ。

何故、私が、このような話をするか。

今の私。病気の症状に悩まされていない私なら。

正しく〝今の人が思う神の幻想〞を説明できる気がするからだ。

物語の、ほんの初歩の初歩。はじまりを私は体感している。

間違えた知識で紡がれた、この歴史書を。

綺麗に正しく間違いの箇所を剥がして紐解いて、未来に綴りたい。

簡単に言えば、〝平和な世界を生きたい〞。ただそれだけ。

私の奇妙な経験から、そのヒントとなる妙案が出せるなら。。。

私は今に、そんなことを思ったから、この文章をまとめてみたの。

〝今の人は、神様の姿を間違った知識より捏造していて。そのはめ違えた概念より、世界を間違ったように運行している。〞

病気で神様を見たことのある私が教えます。

そう。私は、病気のときに、神様を見たことがあるのです。

それが、実際、どのようなもので。(アミューズメントパーク)

正しくは何であるか。(病気)

今、の、私には、答えられる。

病気になってしまっては答えられないから。

少し、生き急いで、焦った勢いで、危うげに、ここで呟いてみる。

人間が間違えた歴史を辿る、その一番はじまりの端っこを私も一度。。。否。2度、3度踏みしめたから。

そこで学びとなるものをこちらに残して置きます。

幼少期より、〝世界平和〞を熱望してきた私が、今の私で立ち起こせる、一つのアイデアです。

〝病中手記〞であるそれは、まるで味気ない、どこか暑苦しい、むさ苦しいだけの読み物ではあるけれど。

今すぐできることだけ、ここに落としておく。

もっと楽しげに、エンターテイナーに表せる私であるのなら。。。よかったのだけど。それは、いつの日かの、期待に寄せて。

私は、今の人が見る、神の姿を知っている。それは病魔です。

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