【真理】という学問があったなら。。。~命の形態。~
先に話しました。
〝宇宙は時間をも内包する〞。
そのように仮定すれば、自ずと見えてくる〝命の形態〞があります。
それは、よくある宗教が伝えるように、〝命に永遠があるのか〞ということ。
私は日頃、この考えに否定的ですが(新しくナニモノかが発生するために、人間は消滅すると考えています。)、
もし、【宇宙には始まりと終わりのシナリオがある】のだとしたら。。。
私達の生きる世界(宇宙)には、今と同時に、過去も未来も共存しているのだとしたら。
私達人間は、何者なんでしょうか?
その答えは、宇宙が指し示してくれる。
私達は、宇宙の一部なのです。
〝今〞という時間に臨み、与えられた〝宇宙のシナリオ〞を己がタイミング(命)を刻みながら、惑い、生きる。
私達人は、極々限られたステージ(今)を与えられながら。
〝今という時間を生きる〞を実践している生き物です。
それ以上でも以下でもありません。
ここに、人の形状が現されている。
〝スピリチュアル〞だとか〝オカルト〞だとか。
自由なイマジネーション能力を与えられた人類は。
自身の存在を尊大に見誤りますが。
本来は、〝今という時間しか生きれない〞が、宇宙より人に定められたルール(法則)なのです。
だから、私は、憶測で物を喋ります。
それしか、人間の私には、許されていないのだから。
人は、〝今に立ち臨み、やがて死ぬでしょう。〞そのことは最初から決まっていて、何ならば。
その命の発生も消滅も、【宇宙のシナリオ】には記されていて。
全て、宇宙を形づくるピースとして。
私達命は、宇宙に組み込まれている。
これが輪廻したら?。。。
大変でしょう。不調和が起きてしまう。
宇宙の進路の前後に凸凹、欠けが出来て、
理路整然と紡がれてきた、【宇宙の法則】に、矛盾が生じてしまう。
何故、そのような不遇を願ったのか?。。。
〝私達は今を生きる〞。
〝生きた時空間に私達は存在する〞。
例え消滅しても。。。
〝生きた事実までは消えない〞の。
ほら。。。
私達は、
今、
此処に、
確かに存在している。生きている。
何が怖いことがあるのでしょう?
私達は、
死んでも、全く消えてなくならないの。生きた事実は消えないの。
例え宇宙が消滅しても。
神様は全て残らず、拾ってくださるから。
〝永遠に。。。輪廻しなければならない理由はありますか?〞
否。輪廻せずとも、私達は、〝この時間、此処に、確かに存在した。〞それだけのこと。
私達の帰り着く巣は此処(今)にある。
恐れないで。
例えば、DNAが、生物の情報データなのだとしたら。
私達はそこから引き継がれ、未来を生きている。
生きながら、他の生物に取り込まれたDNAも、
きっと、取り込んだ他の生物のDNAに吸収されて未来を辿る。
怖いことがあろうか。。。
永遠を生きるとは。
きっと、0にしか出来ないんだ。
それはまるで〝人とは異質な〞〝生き物ではない〞その存在しか。。。
1~その限界まで、自由に生きることを許された私達は、当人に〝相応しい時間〞を与えられている。
何が怖いことがあろうか。。。
誰もそれを奪うことはできない。
〝生きた時間や事実〞は、まがいなく彼、彼女らの世界となる。
誰のものでもないそれを誇り、崇める。
〝今という生きる時間を大事にする〞ことこそ、重要ではありませんか?
死後。。。
来世。。。
輪廻。。。
そんなものに踊らされた人の世界の〝生きる時間〞は、きっと、つぎはぎだらけです。
〝新しい宗教。その概念を構築する。〞
そんな野望に燃えた私は、今日も、〝この一生を本当に意味のあるものに変えたくて〞。。。
〝今に立ち臨み、生きています。〞
今日もよい一日を。。。
それでは、また。
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