【アインシュタインの真似事~宗教観編~】
とてもじゃないけど、私は賢くないから。
真似ができる分野があるとすれば、思想だけです。
ネットで巡り合った記事を受けての考察ですが。
ここで述べるのは、アルベルト・アインシュタイン、「現代物理学の父」と称される彼の宗教観についてです。
最近、独白神話づいてきた私が、それに興味をそそられぬ訳がなく。。。
確かめました、その記事を。
彼はけして、神に否定的だった訳ではないそうです。
それは、彼が生きた時代がそれを許さなかったためであるかもしれませんが。
彼は、人が考え出した、【人格を持った神】や【神話】に否定的だっただけで。
神の存在に否定的だった訳ではないらしく。
彼は、世界の構造そのものを崇拝していたというのです。
ビックらポン!とは、まさに、このこと。
私、アインシュタインと、神について語れるかも?(笑)。。。
実際、学識レベルが違いすぎて、会話にならないこと請け合いですが。
私は、その記事の中の、彼の思想が何を言わんとしているか、すぐにわかりました。
だからタイトルに載せました。【アインシュタインの真似事~宗教観編~】。
真実かどうか、実証することはできない。
けれど、
人が幸せに生きるための宗教観って、確かにこれでありそうだなって、再確認です。
ちなみに、【量子力学における不確定性】については、
私的に疑問に感じることがあります。
同じ条件下?この地球上で?宇宙で?
この世は唯一無二。同じ条件下とは、厳密に存在しない。
これが、私の考えです。
観測時、時は流れ、移り変わり。星も動き、地球も回り、月も輝いている。
その瞬間、地上を生きる人間は誰々で、引力はどのように加わり、空気中の分子はどのように媒介していたか。
私は、これが、まったくの同じではないことを。
〝同じ条件下〞と呼ぶことに疑問なのです。
量子力学とは、非常に小さな世界。
きっと、人間がまだ見つけていない存在もある。
昔のテレビのブラウン管を思い出しました。
色蛍光体と呼ばれる色の集合体が、色を作り出すところ。
量子力学における不確定性とは、このようなことをいうのではないかなと、ぼんやり考えました。
すっごい、間違えているかもしれないけれど。
神に関しては、自信を持って、体感できない、と言い上げる。
病中、どんな状況下の私も、神の存在に触れられなかった。
あるのは世界と人、常にそれだけだった。
私はこの、世界と呼ばれている自然の摂理に対し、神の姿を見出だせるし、人とは一線引いたものであると考える。
人は、迷い子。アクシデント的に。。。ゲームでいうイベント的に生じた、試作品のような存在にも感じる。人の身体を仮にあてがわれた、人の生を持つ、何か。。。〝魂〞。
だから人は迷うし悩むし、とても愚かで貪欲だ。
何故。。。私が、こんな世迷い事記事をたくさん書き上げるのか。
ほとんどはこうです。
〝人の世を救いたいから〞。
できるとは思わない。
私に世界は大き過ぎて、扱うことはできないもの。
でもね。
たった一つの、小さな小さな命にも。
生きた実体は込められるもの。
宇宙はそれを満遍なく包み込むから。
そんな私の、小さな小さな抵抗が、もしも、世界を幸福へ繋ぐ足掛かりになるのなら。。。
私はそんなきっかけになるべくを幾つも幾つも、願いを掛けて文字に刻んでいく。
人の世がそれを見つけなくても。
歴史がそれを残さなくても。
誰かが笑っても。
本当ならば、人に発信したいこれを。
〝何か〞〝誰か〞の為であるとして。
何者かに届くように。
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