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正しく恐れる、ために

「コロナ疲れ」とメディアが言っている。「いつまで、これが続くのよ」という思いを持つのは当然だろう。とはいえ、去年の時点で、この感染症への対応は「hummer & dance」と説明されている。きつい行動制限(ハンマー)をして、そのあと少し事態が良くなったら規制を緩めて楽しむ(ダンス)、そうすると感染者が増えるので次のハンマー、そうして折を見てまたちょっとダンス...その繰り返しにならざるをえないということを覚悟しないといけないんじゃないのかな。

自分が去年の2月に考えていてnoteに書いた、感染症の副産物としてのアジア系への差別がやはりアメリカでかなりひどい形で噴出していることが明らかになってきた。「差別はいけません」といって短い期間で解決するのはやはり難しいから、社会のストレス全体が減る方が望ましい。蔓延防止策はストレスを増やすよね...

Quoraというサイトの記事で、日本でのCovid-19の死者数の年齢分布は、一般的な高齢者の死者の分布と変わらない、というのがあった。「コロナが流行ったから変わったってことはないんじゃないのか」という印象を受ける。そうかもしれない…私も、遅かれ早かれお別れをすることになる人の病状をここまで全世代で気にしなくてはいけないのだろうか、と少し思わないでもなかった。でも、病床で家族とお別れをすることもできない、救急車で入院する病院を探しているうちに息を引き取る、自宅待機していたら急な病変で孤独死、などの報道をみて、亡くなることは避け得なくても、そのように悲しいあり様で身近な人を失いたくない、と思った。

そして筒井康隆の『ジャックポット』を読んで、「ダンシングオールナイト コロナになれば / ダンシングオールナイト 差別にそまる」のフレーズをみつけた。(この感染症の状況をなんとかパロディーにしようとしているのはわかるけど、すごく読みにくい本ではある。)

感染症対策は多岐にわたるのだろうが、よくいわれている医療や感染防止や経済の停滞への対応と同じくらい、差別を蔓延させない対策も必要で、こちらは、特別な知識がなくても一般の大勢の人が対策をとることができるはずだ。

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