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母親になることにやっと諦めがついた

2人目の妊娠中から薄々感じていたんだけども、ようやく母親になることに諦めがついたように思う。

1人目が産まれて、生物学的には母親になった。子どもは可愛いしお世話だってもちろんするんだけど、自分自身は変わりたくないと強く思っていた。

育児を言い訳にせずに勉強し続けたいと思っていたし、仕事も時短にはなるけど手を抜かないと決めていた。
それらは悪いことではないけれど、何というか、すごく力まないといけなかった。

「私の時間」を削って育児をしている感覚だった。
育児がなければ本を読んだり、講習会にいったりする「私の時間」。
子どもができて物理的な制約が増える分どこかで取り返さなくては…とか、それは焦りでもあった。

それと同時に、以前の職場では時短勤務になると第一線から退くような雰囲気があって、「ママ社員」として見られる雰囲気を感じていた。

急に休んだりするし仕方ないけれど、母親としてじゃなくて私を見てほしい、そして職場にいる限りは、変わらず実力を磨くし変わらず働くことを知って欲しかった。

母じゃない私として、以前と変わらずに社会で生きていきたかったんだと思う。

✳︎

そして今、2人目の育休中。

改めて私はこの子たち2人の母親なんだと感じている。

それは自分のアイデンティティを侵してくるものではなくて、自分の一部なんだとようやく受け入れられて、ある意味で諦めがついたように思う。


自分の時間を削って育児しているわけではなくて、これは自分の人生の一部であること。
一見、生活に追われているようなことが糧となって、仕事をする自分にも生かされていくこと。
それらがやっと腑に落ちた気がする。


そして育児も、または仕事や勉強も、この子たちがこれから生きていく世の中のために少しでもなるように、自分の知識や技術を還元していくだけのこと。
相反することをしているようで、向かう先はひとつなのかもしれない。


そう思うと、ただただ抱っこして子どもをなだめている時間も悪くない。
唯一無二の経験をさせてもらって、これから出会う人たちにも還元していける気がしている。

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