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自分を感じる感覚の話

人間には五感がある。

触覚、嗅覚、視覚、聴覚、味覚。これらの感覚は小学生で習うし、生活の中でも馴染みがあるものだ。

話は逸れるがYouTubeで映画一本のあらすじを10分程度にまとめた動画を見るのが好きで、時々見るのだけれど、「五感が順々に奪われていく感染症」が流行する映画のあらすじがあがっていた。感染症つながりで最近注目を浴びているのかもしれない。

この感染症にかかった人々は嗅覚から始まって、最後には視覚も奪われていく。そしてそれらの状況に苦悩し適応しようと努力する姿が描かれているものだった。

https://m.youtube.com/watch?v=W-xU0nBYgJk

なんとも恐ろしいストーリーだけれども、この五感が奪われた人にもいくつか残っている感覚がある。

その中のひとつが固有受容感覚だ。

感覚に優劣はつけられないけれども、人の身体をみるときにはとても大事にみている感覚でもあるし、単純にロマンがあって好き。

自分を感じる固有受容感覚

前述した五感は「外のものを感じる」感覚だ。近くにあるものや口に入れた物の善悪を判断するために味覚や嗅覚が働くし、触覚は特に自分と外界の境界となって、自分より外のものを感じるように働く。

また話は逸れるが触覚はそのように自分と外との境界を感じるから自分を形づくる感覚ともいえるのが面白いところ。

それに対して、固有受容感覚は自分の中を感じる感覚だ。

固有受容感覚は運動の感覚である。
①位置の感覚:身体の各部位の相互関係を知る。
②動きの感覚:関節の角度が変わった時の変化の方向や速度を知る。
③力の感覚:今どのくらいの力を出しているかを知る。努力感。
中村隆一 基礎運動学を参照


つまり、自分の身体の各パーツがどの位置にあって、どう運動しているかを知るための感覚だ。

そう言われるとたしかに、目をつぶって空中で手をふってみても、肘がどのくらい曲がっているかとか、どのくらいの速さで手をふっているかが分かる。改めて考えると不思議なことだ。

そしてそれが分からないとなれば、どのタイミングで、どのぐらいの力で、その振っている手を止めたらいいのかわからない。それはとてもこわいことだ。もしかしたらもう伸び切らないところまでうでが伸びているかもしれないし、とても速いスピードかもしれない。怖いが故に、必要以上の力が入って肩や首まで力んでしまうだろう。


捻挫が繰り返される理由

上のような事は特別な病気や人ごとのように感じるかもしれないが、多少なりともこの現象は誰にでも起こっている。

例えば、捻挫をすると足関節で上と同様の現象が起こる。捻挫は靱帯の損傷であり、損傷した靱帯にある固有受容感覚器のはたらきが悪くなってしまうからだ。

今自分の足の中のどのくらいのところに体重が乗っているのかわかりにくくなる。普通であれば外に体重が乗っていけば、倒れないように筋肉が働いて内側へ重心を戻す。でも分からないんだから働きようがない。

そこにスポーツなどで速さがのってくればなおさらだ。どのくらいの速さで足の外側に体重が乗ってくるかわからない。他の感覚を使って内側へ戻さなきゃと筋肉を働かせたときにはもう遅い。もう戻れないところまで足首はねじれている。そして捻挫は繰り返されるのだ。


ちなみにリハビリだと...

固有受容感覚は筋肉・靱帯・関節包と呼ばれる関節の周りの組織に多く含まれている。

それらの組織が縮んだり、変にねじれていたりしたら受容器は働かないから、それらの組織を良い状態にしていく。そしてそれらが伸ばされたときに受容器が反応して筋肉の収縮を引き出せるように練習していく。一言で言うとこんな感じですが…どうでしょう。

だからストレッチなんかすると身体が軽くなるのは、循環がよくなるせいもあるけれど、筋肉にある固有受容感覚器がしっかり働けるようになって、今どこに自分の身体のパーツがあって、どのくらいの力を使って動かせばいいかが的確になるから、余分な力を使わずに動けるようになる。という側面もあるのだと思う。


いずれにしてもこのような一般的にはマイナーな感覚、でも大事な感覚、そして私が大好きで一目置いてる感覚があるんだよということを書きたかったので書いてみた。

現代は外から情報がたくさん入ってくる。視覚から、聴覚から、様々な嗅覚・味覚を通して。だからこそ、自分の中の感覚に注意を向けてみる時間が必要なのではないでしょうか。知らず知らずのうちに頑張ってはたらいて私を守ってくれているのだから。


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