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インドに行って神経質が治った話

はじめまして。とむと申します。
今日からnoteをはじめたので、これは初投稿の記事です。

私は旅が大好きで、これまで31か国へ訪れたことがあります。

その経験を個人ブログで発信していたりもするのですが、そこではやっぱりある程度有益な情報を書こうと頑張っていて、もっと旅で感じたことを自由に書きたいな…と思い、ふとこのnoteをはじめてみることにしました。

初投稿の記事の内容ですが、インドに行って私の神経質な性格が治った話について書いていこうと思います。思うままに書いていくので、まとまりがなくて、読みにくかったらごめんなさい。

インドに行ったのは私が大学三年生の時で、友達と2人でバックパッカーみたいな感じで行きました。

どうしてインドに行こうと思ったのか、きっかけなどははっきり覚えていないのですが、その時はとにかく現実から逃げたい、という感じだったと思います。

大学三年生になるとそろそろ卒業後のことも考えないといけないし、でもやりたいことも特にないし、よく分からない不安みたいなものを抱えていて、インドで何か変わればいいなという期待感はあったような気がします。

危ないとか汚いとか、あまりいい噂がないインドに行こうと思う時点で、そんなに神経質じゃないように思うかもしれませんが、今と比べると当時の私はかなり神経質でした。

神経質という表現があっているのか、まあとにかくいろんなことを気にしすぎる性格だったんですね。

例えば電車とかだと、当たり前ですけど混んできたら隣に人が座るじゃないですか。それだけでなんだかすごく気になるんですよね。パーソナルスペース、他人が入ってくると不快に感じる距離が広すぎるというか。

人の発言や行動もすごく気にしていて、自分はどう思われているんだろうとか、こうしたら嫌われるんじゃないかとか、本当にいつも考えていました。まあ誰でも多少は気にしますけど、気にしすぎていたと思います。

まあそんな私がインドに行ったんです。期間は3週間くらい。インドのいくつかの都市をふらふら旅しました。

インドを旅して一番感じたことは、結論から言うと、インドの人は死というものを簡単に捉えているのではないか、ということでした。

インドでは普通に道端で人が死んでいたりしました。物乞いの人がすごく多くて、力尽きてしまった人なのか、病気だったのか、理由は分かりません。

でもそれがインドの普通で、インドの日常でした。

だからその近くを通る人も全然そのことを気にしない。死んでいることにも気付いていないような感じでした。誰が倒れていようが、死んでいようが、気にも止めない。それがインドの日常だからです。

日本でもし道端で人が倒れていたら、大騒ぎになりますよね。人が群がって、声をかけてみたり、救急車を呼んだりとか。

これが世に言うカルチャーショックか、って衝撃でした。

旅ではいろんなインド人に会って、ホテルの人とか、リキシャの人とか、店の人とか。正直みんなめちゃくちゃ騙してきて、お金を取ろうとしてきます。それには何度も腹を立てました。

でもなんだろう、みんなすごく適当に生きてるんですよね。肩の力が抜けてる感じで。別に嘘言っても、騙してもいいやって。今が良ければそれでいいやって。

なんかみんなとにかく自己中な感じです。好きに生きてるんです。まあ旅行客相手だからだったとは思います。お金も必要だし。家族や友達には全然違う接し方をしているのかもしれません。あくまで私という旅行客に接したインド人のことです。

とにかくそれはなんでなんだろうと考えました。インド人の相手を気にしない感じとか、自由な感じとか。で、旅している間に出た結論が、インドでは死というものを簡単に捉えているからなんだ、ということでした。

日本では生まれること、そして死ぬことはすごく大きな事ですよね。子供が生まれたらみんなでお祝いして、神社にお参りに行ったりとか。反対に誰かが亡くなってしまった時はお葬式をして、たくさんの人がお別れにきたり。すごく特別なことです。

でもインドでは”生まれて、そして死ぬ”ということがそんなに大きなことじゃないのかもしれないと思いました。道端で人が死んでたりして、死がすごく近くにあるからなのか。宗教の影響もあるのかもしれません。でも極端に言うと、花が咲いて枯れるみたいな。人間の生死も自然の摂理みたいな感じで捉えているのではないかと思いました。あくまでも想像ですけどね。

だからインドの人は、ただその日を楽しく生きられたらいいって思ってるように感じました。もちろんいつ死んでもいいとまでは思っていないとは思います。でも死のハードルみたいなものが低い?という感じでしょうか。

とにかくそんなことを私はインドで思って、それで私はいろんなことを気にしすぎて生きている自分がとても変に感じました。

人に優しくとか、迷惑かけないようにとか、真っ当に生きなきゃとか…色々ありますよね。

大事なことだと思うけど、全部捨ててしまってはいけないけど、半分くらいは捨ててもいいんじゃないかって思いました。思ったというか気づいたって表現の方が近いかもしれません。

私は”生まれること、死ぬこと”を特別だと思っていて、重く捉えていました。だから自分の人生を一生懸命輝かせないとって思ってたんです。できるだけ自分のことを自分の思う完璧に近づけたいって思っていました。それは私がそう決めたわけじゃなく、生まれてからもともと備わっていたことのようでした。それは私が日本に生まれたからかもしれません。

それがインドに行って、そんなに色々気にしなくてもいいのか、ただ自分の心地の良いように生きてたらいいのかって納得しました。自分の精神の部分にもともと備わっていた柱のようなものが崩壊したような。そんな感じでした。良い意味で。

それで、すごく楽になって、私の神経質な感じがすごくなくなりました。肩の荷が降りたような。ある意味ちょっと自己中になってしまったかもしれませんが。

でも今はそれくらいでいいんじゃないかって思っています。日本人って真面目すぎるんじゃないかと感じたりします。真面目な人好きですけどね。でも神経質な頃の自分は疲れていたので。

本当にすごくまとまりがなくて、思ったことをだらだら書いてしまいましたが、まあインドに行って良かったって話です。

厳密に言うと、インドに行ってから海外旅行にハマってしまって、いろんな国に行けば行くほど、どんどんと神経質さがなくなっていったので、旅とともに性格が変わっていった感じかもしれません。


初投稿のまとまりのない記事を読んでくださって、ありがとうございました。

個人ブログも興味があれば覗いてみてください。


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