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トキノツムギA面

5  アルバート①

 アパート入り口と居室の呼び鈴、どちらを鳴らしても応答がなかったので、アルバート・シャンカーはドアノブを回した。カチャリと普通に回り、鍵はかかっていない。というか鍵がかかっていた試しは未だにない。
 そっと中を覗いてみてギョッとした。
ドアを開けたところに玄関マットがあり、マットの右に靴箱、左に背面をむけた3人がけのソファがなぜか置いてあるのだが、そこにリッジが横になっている。安らかな寝息とともに稲穂色の猫っ毛がフワフワ揺れていた。

 ここの近所にカフェバーを開く予定のアルバートは、メニューの文字デザインをリッジに頼んでいた。早朝に完成メールが来ていたので店を見に行くついでに直接寄ったのだったが、今日絶対必要という訳でもない。
起こすかなー、やめるかなーと考えながらバートはリッジのきれいな女顔を見下ろしている。

 バートがリッジを知ったのは、店の近くの病院に置いてあったカリグラフィーだった。
 それは保険証の提示や病院での注意事項などありふれた内容が書かれている受付横の立て札だったのだが、その文字と色使いを見た瞬間、「これが俺の店だ」とピンと来たのだった。
 それまで、概ね決まっていながらどこか曖昧だった店のイメージが、パズルのピースが埋まるようにカッチリ決まった。
 よく来る患者さんなんで来たらお伝えしましょうかということで、連絡先を残して帰ると数日後に連絡が来て、バートは初めてリッジに会った。

 家に迎え入れてくれたリッジは女性と見まごうような柔らかい容姿だった。
抜けるように白い肌、一つ結びにした稲穂色の髪。その後れ毛が横顔にかかり、清潔な色気を醸し出す。
 長いまつ毛が影を落とす薄い緑の瞳がじっと見てふわりと微笑んだ時、
 帰ったら毎日この人がいたら、どんなにいいだろうか。
そんな事が自然と浮かんだ。
 
 このままではこのままだぞと思いながら、この関係が壊れるくらいならそれでも良いのかと思う。恋愛の始め方なんかわかってると思っていたのに、こんな歳で絶対破れたくない恋に落ちてしまった。

 リッジがはたと目を覚ました時、ソファの背もたれに腰掛けている後ろ姿が見えた。頭部と肩幅のバランスや背もたれに腰掛けているというのに余裕のある足の長さなど、人並外れたスタイルの良さだ。少し俯いていている姿が動かないようなので、考え事の邪魔をしないようにそっと起き上がる。少し褐色の肌を赤毛が彩る横顔が良く見えた。それがはたと顔を上げ玄関のドアを見るので、帰ろうとしてるなと思い、声をかける。
 うわっと声さえ出し振り向いたバートは直後に赤くなり、きまり悪そうな笑みを浮かべた。それが隙のない雰囲気と絶妙にそぐわず何となく愛らしい。
しかし、彼はリッジにとって依頼主。すんでのところで笑うのを堪えた。
 


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