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トキノツムギB面

22 勉強②

 マルクは浴場入口を見た。札はない。ドアを開けると掃除をしている人間もいない。脱衣所、装飾のあるアーチ状の柱と低い壁、その向こうにたっぷりの湯が張ってある大きい浴槽がある。
 顕現したピアスが感心したように言った。
「これはすごいですね」
山にいるときは川で体を洗うしかないので、温かいものに浸かれるだけで天国だ。
「うわー。これならやっぱり服洗いたいし着替えたいな。さっきの子に聞けば良かった」
必要あるのかなと思うが、自分も風呂に入る気満々で服を脱ぎながらピアスが話しかけて来た。
「モリビト研究も進んだようですね」

 ここ数日間、歴史や伝承や神話やらを読み、この国のことが少し理解できて来た。それと共に、モリビト知識も増えた。
 モリビトは時々急に現れるらしいが人里に降りないものもいるので、記録にある以上に出現しているかもしれないこと、それぞれ何か特別な力を持っているらしくそれを“恵み“というが、その力はモリビトごとに違うらしいこと。中には人の役に立ちそうもない力を持っている者もいて、逆に人里に降りられないというのもいたのかもしれない。
 
 ピアスが管理人に分けてもらっている力は、どうも「時間を戻す能力」らしい。なので、モリビトとしてのマルクの恵みはそれということになる。ペンを戻すくらいなら問題ないが、場合によっては体が戻ったのはいいがそれまでの体験が全てなくなる、みたいなことになりそうで危険なのではないだろうか。カットフルーツの人は戻った時間が短かったらしくあまり問題なかったのは本当にラッキーだったと思う。

 ピアスは男の子だったんだなとか思いながら風呂に浸かって体を伸ばすと、体と共に心の凝りもほぐれるようで、ぼんやりとマルクは思った。
「…無理じゃないんだよな。モリビトとして生きるのも」
モリビトは象徴であり、いることが大事らしい。神事師を指揮や指導する必要はない。基本業務が、山にいて人を助け恵みを与えるということなら、こなせない仕事ではないのだ。
 何よりマルクは、自分の役割が欲しかった。自分が何者か分からないものにとって、ただここで生きていくだけの人生は絶望的に長い。
「やり甲斐のある仕事だと思いますよ」
マルクの心情を汲んだように、ピアスが言った。
 そして、とても贅沢な役割だ。
ピアスの言葉に、マルクは心中付け足した。

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