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トキノツムギB面

9  ソーヤ邸

 不意に慌ただしくなった邸内に、ソーヤは部屋から顔を出した。
ちょうど廊下を走り抜ける者がいたのでその女性に声をかける。
「リン。何があった?」
「ソーヤ様!後ですぐに報告に行こうと思って、すいません!」
随分慌てているようで、質問に全く答えられていない。
「いやいい。悪かった。急いで行け」
 グリフィスに聞くのが早いか。
思って廊下に出ると、ちょうど童顔の青年が白衣を羽織りながら行くところだった。
「おい、グリフィス」
細身の青年は呼びかけられて立ち止まり、白衣のボタンをかけながらソーヤを見た。
「ライマが青年2人を連れて帰って来ました。1人は意識がありません」
  ライマに追わせたのはあの、執事らしいという青年だけだが、2人だと?
ソーヤはグリフィスと共に病室用の部屋へ向かうことにした。

 寝かされているのは全く見覚えのない青年だった。
ベッドのサイドテーブルに石が二つとビロードの小さな袋。紙の上に針状のもの。部屋中央のソファセットにはマントが無造作にかけられている。フード付きで生成りのそれに、ソーヤは覚えがあった。
 ルシルダ家のものか?
占いを家業とし、代々国に仕えている一家だ。
 すっかり白衣を着終わって医師然とした、背後の青年に尋ねた。
「お前が落ち着いているということは命に別状はないんだな」
「そうですね」
答えながら、グリフィスはサイドテーブルの針状のものを示した。
「皮膚に触れると溶けるらしい珍しいものではありますが、この針では殺傷能力は低いでしょう。殺すつもりなら少しでも掠ると死ぬような毒を塗らなければならないと思いますが、あの青年は生きてますし、脈も呼吸も落ち着いてます。痺れ薬の類で脅しなのではないかと思います」
表情を変えぬまま淡々と言う。
 こんな様子なのでグリフィスは冷たいと思われがちだが、表面に現れないだけで、感情の浮き沈みは実にまっとうだ。何なら献身的な態度や同情心などは人並み以上なのだが、誤解されやすく損をする人柄なのであった。

 そんなグリフィスは、もう一人の青年の方が心配だった。
玄関ホールに向かうと、案の定、最後に見た時と1ミリも変わらない場所にいる。朝焼けが差し込むホールの隅で壁に寄りかかり、自分の方が死にそうな顔で床に座り込んでいた。
「ちゃんと息できてる?」
声をかけると、青年は目が覚めたようにこちらに顔を向けた。
 胡座の上に置いた右手を左手で握りしめているようだが、薄い日光の中でもその手が震えているのがわかる。
グリフィスは青年の前にしゃがむと、目の前に指を一本立てた。
「これを目で追って。できる?」
ゆっくり左右に、そして上下に、また目の前に。
「オッケー。じゃ、深呼吸しよう。吸って。1、2、3。ゆっくり吐いて」
   少し血色が戻った青年が立ち上がり、完璧な動作で頭を下げる。
「この度はご迷惑をおかけして申し訳ありません」
グリフィスは、そんな姿を無表情で一瞥してから言った。
「あの子大丈夫だよ。少ししたら目が覚める。軽い切り傷があるくらいでそれ以外何もない」
 瞬間、ふらりと力が抜けた青年の肩を支えながらグリフィスは続けた。
「あと、別に迷惑じゃない。だから無理しなくていい」

 
 


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