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トキノツムギA面

3  リッジ

 リッジ・オルティースははたと顔を上げて時計を見た。
 うわ、やった!
ちょっと30分くらい、と思って始めた仕事に、気づくとすでに2時間半かけている。しかもこれは本業ではないのだ。
 時計を見るとすっかり丑三つ時で、もうこれはこれで仕方ないと、机に散らばった紙を雑にまとめると冷え切ったコーヒーを捨てに目の前のキッチンへ向かう。そのまま、キッチンの上の細長い窓から外を見やった。

 キッチン側の壁、端から端まで通るこの一筋の細い窓がリッジは気に入っている。街を見下ろせる窓からは、この街を東西に分断する、緑豊かな公園が見えた。コーヒーカップを洗いながら少し身をかがめると、公園は暗い森のようで、背後にはビルの窓が星のように輝いている。
こんな時間にまだ働いている人がいることを想像し、その人たちの生活に思いを馳せる時、いつでもリッジは一種懐かしい感情に撫でられた。
 今ベッドに入って運良く寝られたとしても起きるのは朝遅い時間になるだろう。でも、このまま起きて仕事を続ければ早朝には終わるかもしれない。
 仕事終わらせてから寝るか。
自分の都合通りに動けないことも多い体だが、今日は体調も悪くなかった。
もう一度窓から外を見る。人通りはほとんどない。
少し考えて、気分転換の食べ物を仕入れるべく出かけることにした。

 リッジのアパートは、下の2階分が店舗になっている。元々はリッジの住んでいる3階も店舗だったらしく、無理やり住居用に仕立てたその部屋の作りはかなり特殊だ。おかげでこの立地と、2LDKという一人暮らしには贅沢な部屋割りでも比較的安い。
 どこが特殊かというと、まず玄関がない。ドアを入ると居間とは言いづらいだだっ広い空間で、突き当たりが唐突にキッチンだ。そして、LDKの窓はキッチンの上を通る細長い窓だけのくせにLDKの左に並ぶ寝室、トイレ、脱衣場とバスルームには天井から床までの大きな窓が不必要にある。LDKの右は全面ガッツリ壁でなので採光が非常に悪い。更にその壁は異様に薄かった。
ここを何とか家具で仕切り生活をするというのは確かに不便だし、ここに住むなら少し奥の住宅街でここより良い部屋がいくらでもあるだろうという微妙な値段設定のため、3階の他の2室には人が居つかず、ほぼ万年リッジのみが住んでいる。

 エレベーターで1階まで降りると、一階店舗裏のアパート用出入口に着く。少し狭いそこを穴から潜り出るように出ると思ってたより空気が冷たく、吸い込むと寝起きの頭が覚める気がした。
 風向きのせいか公園の木と土の香りが鼻先をかすめたので、久しぶりに、公園を抜けたところにあるコンビニに行く気になった。そうなると、ちょっとした買い物ではなくもはや散歩だ。
 まだ仕事は残っているというのに、現実逃避感が否めない。

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