見出し画像

トキノツムギA面

10   カイについて

 次の日少し遅めに起きたバートが一階に降りると、居間の幅そのままに繋がるサンルームから、タオルを首にかけたカイがのっそりと上がって来た。いつもながら完璧なタイミングだ。
「どうする?すぐ食べる?」
お前その灰色のTシャツとベージュのパンツ何セット持っているんだとツッコミたいくらい昨日と同じ格好で、居間を横切りキッチンに入る。
「いや、支度してから食べる」
「りょーかい」
言って長めの腰巻きエプロンを結びながらキッチンに入ったかと思うと
「あれ」
と入り口から顔を見せ、キッチンの中を顎をしゃくって示した。
 見るとお見舞いセットがしっかり出来上がって、キッチン真ん中に幅を利かす金属の調理台に置いてある。
 飲み物、カットされ冷やされた果物、一口サンドイッチに手作りゼリーやアイスなど、とにかくどれかは当たるだろうという品揃えだ。
「冷蔵バッグだから家行くくらいまでは保つだろうけど、着いたらすぐ冷蔵庫入れろよ」
 タクシー料金からなのだろうか、相手の家がどの辺にあるのかもなんとなくわかっている口調だ。
 しかし、こんなカイのことを、実はバートは案外知らない。

 それまでバートの母親の秘書として仕事も家事も手伝ってくれていたメイさんは、母親が亡くなった後会社を継ぐことになった。家事を手伝うことが難しくなったということで、どこからともなく連れて来たのがカイだ。男性なのはともかくどう見てもハウスキーパーではない容貌で、バートは、これは多分自分のお目付役なのだと半ば以上信じていた。
 確かにそういう側面もあったなとは思う。
 家事を完璧にこなし、荒れていた庭を以前以上に整備し、気づけば家のことをバートよりも把握していただけでなく、何も詮索しないまま、何度もバートを警察に迎えに来てくれたのだから。

 両親共にいなくなったあの大学生の時のことを、バートは未だに詳細に思い出せない。でもある時急に、何か自分を保っていた線みたいなものがプチンと切れた、そんな気がする。
 結構高額だったはずのアルバイト代は全て飲みに消え、泥酔しては手当たり次第に喧嘩をし、毎日のように病院か警察で目覚めた。その全ての時に、カイはただ淡々と迎えに来た。
 どうせ仕事だから来てるんだろうと言い放てなかったのはメイに対する遠慮のせいだけじゃない。1人の年下の同性に年長の一男性として向かい合おうとする覚悟が伝わったし、何も言わず何も聞かず何度でも迎えに来てくれながらも、カイ自身の痛みのようなものをいつも感じたからだ。

 もう嫌だ。やめよう。
 ある日、自分の気持ちがストンと腑に落ちた。
憑き物が取れたようにスッキリした日のことだけは、バートは良く覚えている。
 
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?