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トキノツムギB面

5   アイリスの過去②

 「ああそうだ」
 不意に思い付いたように、フィンリーが言った。
「今度から、自分で髪やんなきゃいけないじゃん?この髪気に入ってるから教え
てよ」
 フィンリーはかなりしっかりした髪質で、時に自分の髪で顔の皮膚を傷つけることもあった。なのでアイリスはサイドの髪を、短い時は後ろに流すようにセットし、長くなってくるとピンでとめ、最終的には細かい三つ編みを作って髪を抑えていた。
 気に入っているという髪型は三つ編みでそれを解いてやり方を伝えたのだが、何回か練習しても、どうもアイリスがするようにはできなかった。
あまりに下手なのでだんだん面白くなり、アイリスは笑いを堪えながら言った。
「坊っちゃまには少し難しいようですね。ピンで止める方を練習しましょう。明日私が持って参ります」
「すっごい気を遣って言ってくれてるけど、正直、俺、才能ないよね」
 憮然と言うので、確かに、と言うツッコミが心中去来し、噴き出すのを我慢するために、なるべくフィンリーを見ないように頭を下げ、部屋を出た。そして、時間が空けられそうだったので、その足で街に出て、なるべく使いやすそうなピンを、何度失敗してもやり直せるように、箱で買ったのだった。
 
 その時のアイリスに、どうして想像できただろう。
帰って来た時に、屋敷ごとなくなっていることを。

 その数時間の間に、何が起こったのだろうか。屋敷があったはずの場所は広い草原になっていた。屋敷の裏に作っていた交易用の港までごっそり無くなり、いつも見ていた海は、遠く水平線がのぞめるほど何もなかった。
 何より、他の屋敷が並ぶ間にこんなに不自然に空き地があることを、近所の誰も気にしていなかった。あそこだけは売れないよねえ。いいところなんだけど不思議だねえと、まるでずっとそうであったかのように言うのだった。

 あの時何が起こったのかを調べるために、アイリスは大学に入った。大学の蔵書の量は魅力的だし、学生という身分はあらゆる施設に入るのに都合が良い。
【一番期待していることは起こらない。】
多分そうだろう。あの日々が返ってくることはきっとない。
 本を調べ飲み屋に入り浸り、話を聞いて予想を立てても覆される。今まで何度も、そして今日も。

 あの家族を覚えているのはもう自分しかいない。自分が忘れると全てがなかったことになる。
 フィンリーを彷彿とさせる同室の友人をふと思い出し胸がチクリと痛んだが、頭から振り払う。
 隠してるわけじゃないんだ。
 あの時、最後にフィンリーの姿をまともに見なかったのを後悔している。屋敷を離れたのを後悔している。寂しがっていたのに一緒にいなかったことを、守れなかったことを後悔している。

 忘れない。絶対に忘れない。
真実を追うことで、後悔で縛ることで、刻みつけることで。

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