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ゴアトランスとの出会い、別れ、再会

高校でテクノやハウスを聞き始め、1994年にクラブデビュー。当時はトランスやアシッドトランスがかかっていたが、ミニマルテクノが流行り始めるとシーンは一気にミニマルに流れ、トランスがかからなくなっていった。
トランスが好きだった自分は、それがつまらなかった。
そんな自分に友達が「ゴアトランス聴いてみ」と聴かせてくれたのがJuno Reactorの「High Energy Protons」。ロックっぽいと思った。

「ゴア」という文字はクラブ系雑誌で時々見かけ、世界のパーティー好きがインドに集まり、トランスで踊っている事を知った。
この頃は「ゴア系」という表現が多かった。メディアではゴア系を「様式美」「祭壇を作って拝んでいる」「DJはパーティーの司祭的役割」と揶揄した表現が多く、テクノ界隈からは異端扱いされていたみたいだった。
当時、パーティー情報は雑誌やフライヤーから得ていた。ゴア系のフライヤーは白黒コピーが多く、ヤバい雰囲気を出していて、その界隈に詳しい友達もいなかったから、ゴア系パーティーに足を踏み入れる事はなかった。

とーき氏提供の当時のフライヤー。アングラすぎておっかなくて行けませんでした。

初めてのゴアトランス体験。

初めてゴア系DJを体験したのが、1995年の2月にGOLDで開催された阪神淡路大震災復興支援のフリーパーティー。初めて見るゴア系DJはみな素晴らしく、テクノやトランスで地ならししてピークにゴアトランスをかけるスタイルが多かったと思う。特にTwilight ZoneのR-1のDJには意識を上空に解き放たれるような強烈な衝撃を受けて感動した。

ゴアトランスのCDも買い始めた。最初はTIPのYELLOW COMPILATION。当時は試聴ができなかったので、最初に良盤を買えてよかったと思う。あと本noteで紹介済みのDragon flyのA Voyage Into Tranceを買ったのも同じころ。 

ゴアトランスとの別れ

KEY-ENERGYやODESSAYなどゴア系パーティーにも行った。壁にガネーシャやサイケモチーフのバティックがあり、お香が炊かれ、デコ文化のなかったテクノ界隈から来た自分にとっては相当な異空間だった。
客層はゴア帰りと不良外人とバブリーなイケイケだらけだった。当時のテクノ界隈は顔を合わせるうちにやたら友達が増えたが、ゴア系パーティーは大人の遊び人ばかりで、金のないガキはお呼びじゃなかったようだ。
ほぼ一人で遊びに行っていた自分はアウェイ感と居心地の悪さから、1996年になるとゴア系のパーティーには行かなくなった。

パーティーに行かなくなったとはいえ、ゴアトランスは時々コンピレーションを買ったり、ネットラジオでかかって気になった曲をCD屋で探したりはしていた。あまり買えなかったけど。

一方、自分は当時日本で盛り上がっていた、オランダ発の高速ダンスミュージック、ガバにハマった。やっぱり自分はガキで、ガキ向け音楽が好きだったんだと思う。ガバのパーティーには2000年代初頭までよく行っていた。

ゴアトランスとの再会

時は飛んで2005年の10月。この頃は音は聴いていたものの、クラブ遊びはほとんどしなくなっていたが、友達に10年ぶりにレイヴに誘われた。
目玉はThe Muses Rapt。Spiritual Healingの作者はガンとの闘病中にこの曲を作って亡くなったとか真偽不明の噂を聞いていたが、どうやら存命らしい。朝にゴアトランスがかかるらしいので山梨まで行くことにした。

夜半から降り続いた雨は朝には止み、ダンスフロアは泥沼になっていた。
The Muses Raptはほとんど知らない曲をフルでかけていたから、DATだったと思う。ピークタイムにかかったSpiritual Healingはフロアを狂気させた。

Mixiに残っていた当日の写真。靴がダメになりました。

みんな泥だらけで笑顔だった。知らない人からビールやワインをいっぱいもらった。そこには、かつて苦手だったスカした大人のお兄様やお姉様ではなく、音に真剣に向き合い、楽しんでいるレイヴァーたちが集っていた。
自分が好きだったゴアトランスは生きてたんだ。良かった。
自分の中で何か肩身が狭かったゴアトランスのイメージが一変した。

Jz Tranceとの出会い

それからゴアトランスのパーティーを探してみたけど、サイケばかりで、ゴアトランスのパーティーは見つけられなかった。
※なぜかDaze Mazeの情報にはたどり着けなかったらしい。
渋谷にあったQUINTRIXにもゴアトランスはほとんど置いて無かった。
「俺みたいなのは昔を懐かしんで愚痴るしかないのかなー」と諦めかけていた2006年1月、なんとなく友人の誘いでmixiののageHa行こうオフ会に参加。
ageHaで何をやっているか知らなかったが、そこで遭遇したのが、通路特設ブースで開催されていたJz Trance。Jz Tranceのオーガナイザー、DJ @rakiさんのアグレッシブなゴアトランスDJにぶっ飛ばされて腰が抜けそうになった。

Jz Trance【Progressive Lounge】のフライヤー。
オラオラ客を憂慮してProgressiveと銘打っていた。

それからはJz TranceやSUN-UP、Space Mindなど、@rakiさんが出るパーティーを軸にあちこち遊びに行った。@rakiさんはオールドゴアとネオゴア、フルオンを同じセットでかける時もあり、それぞれの良さを教えてくれた。潮風公園のゲリラ、DAT Mafia、122mg、洞窟パーティー、といろいろ行くうちにスオミもダークもフルオンもプログレも、みんな好きになった。

今こそゴアトランス

2007年からはGoasia、Filteriaらネオゴアを代表するアーティストがJz Tranceの招聘で複数回来日。ゴアトランスは決して懐かしむだけの音楽ではなく、今も進化を続けていることを実感した。
ageHaで定期・不定期で開催されていたJz Tranceだけでなく、Rezonancia、GoaTribe、幻状異時、Mandala Visionなど、ゴアトランスを推すパーティーも増えた。音源も再発されたり、配信でだいぶ買いやすくなってきた。
ゴアトランスを作るアーティストもいるし、若いゴアトランスDJも増えてきた。ぶっちゃけ昔も含めて今がいちばん人もフレンドリーで、音源も入手しやすく、ゴアトランス好きは最も恵まれてる時期なんじゃないかと思う。

2012年からは自分もDJを始め、今年はGoasiaを迎えて開催されたJz TranceでチルアウトDJをする機会を得た。自分にとってある種の原点回帰だったし、自分が素晴らしいと思っていたパーティーの一部を担えて感無量だった。

自分は1995年くらいしかゴアトランス界隈にいなかったし、ゴアにも、パンガンにも、海外フェスにも行った事はない。DJとしてもゴアトランスをやったのは少しだけ。
それでもゴアトランスは自分のルーツのひとつであり、今もこの界隈にいるきっかけ、理由だと思っている。
だから大事にしていきたいし、より多くの人にゴアトランスを伝え、知ってもらい、好きになってもらいたい。
一瞬でも昔の空気を知っているシーンの生き残りとして、何かを伝え、盛り上げて行けたらと思う。





チラ裏の裏。
2008年にGoasiaが再来日した際、歓迎お食事会が渋谷で開催されて自分も行った。フロントマンKanc Coverの彼女も来ていて「この人、去年日本に来た時のことずーっと話してんのよ。年中よ。もうすぐ1年経つのに!」と言っていた。本当に日本を気に入って貰えてよかったと思う。
KancにGoasiaの音楽は好きか聞かれたので「もちろん好きだし、高い所から見下ろしているような壮大な感じと独特なメロディーはGoasiaの持ち味になってると思う」的なことを言ったらニコニコしてた。
今年の6月にJz Tranceで再会した時も覚えててくれたよ。

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