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【好きなこと=嫌いなこと】 #04 読書

「1日1冊、本を読む。」

社会人になって、とっととスキルアップをしたかった佐藤は、1日1冊読む、との目標を掲げた。当初、埼玉県熊谷市の実家から通勤し、1時間以上を電車の中で過ごしていたため、往復2時間半くらいは毎日確保できていたのである。通勤時間がかかることを逆手にとってみたら、本を読むことが幸か不幸か癖になってしまった。

昔は本当に1冊を「読み切っていた」。いまでも「1日1冊」読むのだけれど、今は25%読む本が8割、50%読む本が1割、100%読み切る本は1割程度だと思う。世の中には、佐藤が興味のある本が五万とあり、読んでみて初めてつまらないなと思う本が約4.5万あるらしい。そのことをこの15年程度で学んだ。

色々な本を読むけれど、あえてあまり読まない本をあげるとすれば、数理系の学術書、文芸周り小説、同人誌、古文書、日本語・英語以外で書かれた本だろうか。最近の興味は、人文領域(人類学、哲学)やアート領域なので、ビジネス系や経済系の本も減ってきたように思う。こういった本の内容の変化は、仕事の種類というよりは、私がその時に「どんな人にあっているか」に影響されているようだ。そう考えると、私の読書は、「どんな人にあっているか」に影響されているから、読んでいる本は人間関係の見える化の媒体になるとも言えそうである。

1日1冊「読む」とすると、1日1冊「買う」のである。図書館や友人から「借りる」手段も試したのだけれど、読みたいときに読めず、ストレスになることがわかったのでやめた。Amazonさまさまである。Amazonがなかったらどうなっていただろうと思うと、恐ろしい気もするし、もうちょっと違う読書の世界が広がっていたのかもしれないな、と思うこともある。書店に足を運ぶのは月1回と決めている。これ以上でもこれ未満でもだめ。1回。なぜかというと、広がりすぎたり、あまり興味のない本を買ってしまうからだ。書店というのは、場の力が強くて、興味レベルを増幅させてしまう効果がある。これももしかしたらAmazonの功罪かもしれない。本をリアルに、物質的に触れることができると、身体が過剰に反応してしまうらしい。というと、真面目すぎると思うけど、要は本を買いすぎなのである。常時、30冊は”積ん読”中の本があるので、これはこれでどうなのかな、と反省することもおおい。

「佐藤さんて、どうしてそんなに本が読めるんですか?」とよく聞かれる。「癖になっているから。歯を磨いたり、スマホを見ているのと同じ。」とよくよく応えている。これは半分ほんとうで、半分うそだ。ほんとうの部分は、歯を磨いたりすることと同じであるという点で、歯を磨く時は必ず本を読んでいる(笑)。癖になっているから、というのはたぶん、うそで。ほかのひとがスマホを見ている時間に、私は本を読んでいるだけではないか、と思うことがある。実際、計測したことはないけれど、やってみると面白い結果になるかもしれない。

以上、つらつらと書いてきたけども、そもそも私は読書が好きなのだろうか?嫌いなのであろうか?

本の過食によって、吐きそうになるときもあれば、楽しくて仕方がなく気がついたら1日2日たってしまっていることもある。本を読んでいるのか、本に読まされているのか。能動なのか受動なのか、よくわからなくなってきている。ただ一つ、感じていることを言葉にできるとすれば、私にとって「読書は食べることに近い」ということだ。食べることが好きか嫌いかはなかなかに難しい。体調にもよるし、どちらかというと食べる対象である食べ物が好きかどうかによってしまう。食べることそのものを好きだし、嫌いなのである。たぶん。

だから、私は「読書」がとても嫌いで、とても好きなようである。


photo : ©tomohiro sato, nobody / read

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