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【映画】「花束みたいな恋をした」が僕の乾いた心を潤わせてくれた話

コロナで在宅時間が増えて、
人と直接会う機会が減ってしまい、
心の揺れ動きを感じていない気がしていた。
僕と似たような気持ちの人は多いのではないだろうか?

何だかヒトとしての機能が
どんどん低下しているんじゃないかという危惧もあったので、
久々に映画館で映画でも見ようと思い、
話題になっていた「花束みたいな恋をした」を観に行った。

結果として、僕はこの映画を観て、
自分の感情の動きを感じ取れた。
ヒトとしての機能が少し向上したと思う。
僕と同じように心の揺れ動きを感じたい人には
ぜひ観てみて欲しい。

僕は感情の言語化があまり得意ではなく、
noteも基本は見る専門なのだが、
書くことの得意・不得意の問題を超えて、
今自分の中にあるこの気持ちを残しておきたいと思い、
試しにnoteに書き残してみたいと思う。
※ネタバレの内容を含むので、ご注意ください。

あらすじ

東京・京王線の明大前駅で終電を逃したことから偶然に出会った 山音麦 (菅田将暉)と 八谷絹 (有村架純)。好きな音楽や映画が嘘みたいに一緒で、あっという間に恋に落ちた麦と絹は、大学を卒業してフリーターをしながら同棲を始める。近所にお気に入りのパン屋を見つけて、拾った猫に二人で名前をつけて、渋谷パルコが閉店しても、スマスマが最終回を迎えても、日々の現状維持を目標に二人は就職活動を続けるが…。まばゆいほどの煌めきと、胸を締め付ける切なさに包まれた〈恋する月日のすべて〉を、唯一無二の言葉で紡ぐ忘れられない5年間。

映画を見終わった後、心がジーンとして、
この余韻をいつまでも大切にしたいと思えた作品だった。
こんな感情は久しぶりだった。

描かれたのは男女2人の日常。
だからこそ、自分ごととして必然的に捉えざるを得ないシーンが
多く散りばめられ、過去の自分の体験の記憶が掘り起こされた。

言葉にしづらい感情ではあるが、
映画の内容と自分の体験を絡めて、
自分が得た気づきを書いていきたい。

映画から得た3つの気づき



自分の好きなものごとには、自分の価値観が表出している。
似た興味領域の人との出会いとコミュニケーションは大切にしていきたい。


...
主人公の山音麦と八谷絹の距離感をぐっと縮めたものは、
2人が共通して好きな文化や芸術作品たち。
不思議なくらい多くの共通点の連鎖はとても尊いものだった。
...


一般的な人から見れば、価値が薄いものも、
価値観の近い人と一緒にいれば、何でも輝いて見える。
そんな日常が続くことはとても幸せなことなんだと思う。
僕は自分と同じような興味を持つ人に出会っていきたいし、
その人との対話も大切にしていきたいと思う。


自分を客観的に見て、心に余裕を持たせることで、
パートナーを傷つけてしまうことを避けたい。


...
多くの共通の興味領域を抱えて、
物事への感受性も近い主人公の2人。
しかし、どんなに似た者同士でも、
置かれた状況が変われば、次第にズレが生じてしまう。

イラストを描くことが好きで、仕事にしたいと語っていた麦。
そんな麦が描いたイラストを好きだと言っていた絹。

しかし、麦が就職をして、仕事が多忙を極めていくにつれて、
麦の感受性が失われていってしまう。
2人を強く結びつけていた文化や芸術作品に対して、
麦は価値を感じなくなっていた。

そして、絹が「好きなことを仕事にしたい」と転職を決意した瞬間、
麦が「仕事は責任であり遊びでない」と口論に。
結果として、麦は絹を傷つけてしまった。

「僕の人生の目標は絹ちゃんとの現状維持」と語っていた麦だが、
その目標は果たすことができなかった。
...

これらのシーンはとても自分の心に刺さってしまった。
本来パートナーとは幸せな日常を築いていきたいもの。
傷つけてしまうことは最も避けたい行為。
自分の過去を振り返った時に、
思い当たってしまうシーンが掘り起こされ、
心がどっしりと重くなった。

自分も仕事が忙しくなると、
視野が狭くなり、自分本位になってしまう。
仕事の忙しさをコントロールするのは難しいが、
視野が狭くなっていることを認知して、
自分を客観的に見て、心に余裕を持たせることを意識していきたい。



少しの機微でも感じ取れる人間であり続けたい。

...
麦は仕事に多忙のあまり、
文化や芸術がもたらす感動や心の喜びを
手放してしまった。
そして、「仕事は責任であり遊びでない」と言い放つ。
...


果たして、仕事はそんな味気ないもので良いのだろうか?

そもそも、僕は「責任」と「遊び」は両立できると思うし、
両方あった方が仕事のパフォーマンスは上がると思う。
なぜなら、仕事は誰かの役に立ち、喜ばせるものであり、
そのためには人の心を動かす「遊び」が必要だから。

「遊び」は人間を人間たらしめる要素の1つだと思う。

血の通っていない物事に、
人の心は動かせない。
血を通わせるために、
文化や芸術から感性や生きる喜びを
享受する必要がある。

僕は、他の人から見たら意味のないものであっても、
自分の視点では意味を感じ取れるような、
そんな感受性を持った人間であり続けたいと思った。

気づきのまとめ

僕の気づきを改めてまとめると、下記の3つ。


①自分の好きなものごとには、自分の価値観が表出している。
 似た興味領域の人との出会いとコミュニケーションは
 大切にしていきたい。

②自分を客観的に見て、心に余裕を持たせることで、
 パートナーを傷つけてしまうことを避けたい。

③少しの機微でも感じ取れる人間であり続けたい。


客観的に自分の気づきを見てみると、
僕は「人間らしさ」を感じることを
求めていたことが再認識できた。
おそらくコロナによる他者との物理的な分断生活により、
この気持ちは強くなっていたように感じる。

もし自分と同じように
「人間らしさ」を感じたいという人がいれば、
ぜひこの映画を観てみて欲しい。

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