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【ドラム】ドラムの魅力

ドラム。打楽器のあのドラムだ。
バンドでも不遇の立場を強いられる感が強いパートだが、痺れるほどかっこいい。あの謎の魅力はなんなのだろうか。

高校入学からこの三十路になるまで魅了され続け、スローンに座り始めてからいよいよ15年になろうとしている。お陰様で今までブランクもほぼ無くこれた。

正直言ってドラムセットは鉄と木材の塊なのでいちいち機材が重たくて年々運ぶのが嫌になる。
しかもいろいろな練習を乗り越えて上手に叩けるようになったとして、それでようやくバンドはゼロスタートを切れる。ドラムが全くダメダメだとバンドの印象はマイナススタートなのだ。
それなのに地道に基礎練習を積むその努力も上手さも一般の方々からは評価されずらい。下手なのはとても目立つのに。
はっきり言ってあまり役得なパートではない。むしろ損が目立つ気がしてならない。
でも僕は今もドラムを叩いている。他の楽器にももちろん興味があったが、続いているのはドラムだけだ。

さて表題についてだが、僕が引っかかったポイントはこの楽器の「懐の広さ」に尽きると思う。
アコースティックな楽器ゆえ表現に際限がなく、この曲のこの部分はスネアのどの位置を叩こうとか、ここのシンバルは撫でるようにいくべきか破裂させるようにいくべきかとか、無限に自身のこだわりを積み上げることができる。

ドラムは「リズム楽器」だったり、爆音至上主義者がうたいがちな「迫力楽器」というイメージが一般的だが、僕の解釈は「雰囲気楽器」だ。
楽曲の匂い立つ雰囲気を操作し、裏から全てを操ることができる唯一の楽器だと思っている。裏付けとして、バラードでギターやピアノがどれだけ甘い音色を出そうが、ドラムがドシャメシャな音を叩けば一撃で曲を台無しにできる。それだけの支配力を有しているのである。

僕は考える、こだわる、適応するのが好きだ。
多分最初にこの楽器に興味を持ったのはそういう性格とこの楽器の特性が合致することを無意識に感じ取ったのだろう。

実は楽器そのものもかなり奥が深い。
例えばしっとり歌う女性ボーカルに合わせるスネアを選定する際、歌の雰囲気に合わせて楽曲を暖かくのびやかに包み込む深い木胴のスネアを用意した。確かに雰囲気は良かったが謎の違和感があったので、逆張りで一般的に速いパッセージをよく拾い、爆音と評される真鍮製で薄胴のスネアを合わせたらこれがものすごくマッチしたことがあった。おそらく前者はサスティン(倍音)が非常に長く、歌の邪魔になっていたのではないかと推測している。
シンバル一枚とっても同じことが言える。同じように見えて実は大きさも厚みも表面処理も一枚一枚違い、それぞれ役割があったりする。ドラマーはそれらを相対的に判断して楽器を選定している。はず。

こういった「演奏」「楽器」そのものに無限の幅が存在する楽器なのだ。

出音や楽器へのこだわりはおそらく誰にも理解されないし、たくさん練習し上手くなってようやく観客からする「当たり前」のクオリティを提供できるにすぎず、リハやライブの準備では一次・二次産業に従事する労働者の如く大汗を流しつつ、可能な限り素早く準備せねばならず、バンド内でもメンバー間の橋渡しの役割を担うことが多かったりと、いろいろな意味で苦悩の多いパートだと常に感じる。

書いてて悲しくなってくるが、きっとこの楽器の魅力に騙され続けまだまだドラムを叩いていくのだろう。
15年経っても、まだまだ新しい魅力が尽きない。

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