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Jリーグの日に想うこと。

今日、5月15日は『Jリーグの日』です。

先ほどアップされた村井チェアマンの動画を観て、どうしてか目頭が熱くなった。

Jリーグが開幕したあの頃、まだ小学校低学年だった私は、毎日のようにJリーグチップスを買っては、油でベトベトになったビニール袋の中のシールを集めた。(確かJリーグチップスだと思うんだけど。他にもたくさん付録付きのお菓子があったから記憶が定かではない)

サッカーのことはよくわからなかったけど、とにかく清水エスパルスが好きだった。パルちゃんが好きだったからだ。

集めたシールは居間のテーブルに貼りまくり、徐々に集まっていく今でいうところのオリジナル10全チームのそれが揃った時は、それはそれは嬉しかったことをぼんやりと覚えている。しかしあのテーブルは安価なものではなかったような気がしているので、シールで埋め尽くされていくテーブルの姿に、母の胸中は穏やかではなかったかもしれない。

中高とバスケットボール一色の学生生活を送っていたため、読んでいた雑誌はサッカーダイジェストではなく月刊バスケットボールだったが、弟の友達の一人に飛び抜けてサッカーが上手く、中学に上がると同時にとあるクラブチームのユースで頑張っていた子がいたせいか、なんとなくサッカーは身近に感じていた。(のちにプロ選手になる)

また、仲が良かった友達の一人は、サッカー部の男子に恋心を抱いており、その相談をよく受けていたことを今鮮明に思い出した。確か名前は前田…だったような。

今、私の少ない人生経験の中で、サッカーに計り知れない可能性を感じたと記憶している出来事は、日韓ワールドカップだ。当時高校生だった私たちは、テレビが置かれている部屋の中で唯一立ち入りを許可されている視聴覚室に集まり、当時の日本代表を奇声に似た声をあげながら応援した。ルールなど、全く知らなかった。オフサイドさえわからなかった。そこにいたほとんどの女子が知らなかったと思う。それでもそこにいるすべての生徒が、観戦を許してくれた先生たちが、心を一つにして、あの小さなブラウン管の向こうに小さく映る日本代表の選手たちを必死で応援した。

「絶対4年後、ドイツにみんなで行こうね!」

それぞれの人生を歩んでいた4年後の私たちはそんな約束をすっかり忘れ、自宅で観戦することになるのだが・・・。

とにかく、あの日韓ワールドカップから、サッカーは私の中で特別なスポーツになった。

正直なところ、地上波での放送がない限り、サッカー中継を観ることは当時はあまりなかった。私がサッカー漬けの日々を送るようになったのは、紛れもなく夫の影響だ。朝起きてサッカー、仕事から帰ってサッカー、寝る前もサッカー。ずっとサッカー。サッカーサッカーサッカー。一日24時間をこんなにサッカーに費やす人間がいるのだなと、呆気にとられた新婚生活(笑)。

しかし、私も夢中になるのには時間はかからなかった。

夫の夢は「地元にクラブチームができて、ユニフォームを着て応援に行くこと」。Jリーグが発足して15年以上経過していたが、地元にJのチームが無かったため(実際はすでにレノファは存在していたのだが)、当時は『どこか違う遠い世界にあるもの』という印象だった。日常ではない、非日常だった。

ところが地元にレノファ山口FCという最近J3に昇格したばかりのチームがあるという。しかも飛ぶ鳥を落とす勢いで勝ち続けているというじゃないか。もちろん存在は知っていたけれど、実際に応援に行ったことはなかった。夫がこれを見逃すはずもなく、「応援に行ってみよう」と誘ってきた。当時私は、放送局で働きながらまちづくりの勉強をしていた。せっかくなら住んでいるこの場所を面白くしたいという想いからだったのだが、なかなか上手くいっていなかった。何かヒントを得られるかもしれないーーー漠然とそう思って、「いいよ」と返答した。

応援に行くなら身なりも整えないと、ということで、最初からユニフォームを買うという行為は少しハードルが高いように思い、当時3,000円で売られていたオレンジのTシャツを購入。最初は確か、ホーム側のSA席のチケットを買った。

サッカーの試合を観に行くなんて初めてのこと。何の想像もできず、有料駐車場に車を停めていざスタジアムへ。ん?なんか声が聞こえる。すごい、ここまで声が聞こえる。そう、駐車場に車を停めて降りたその場所に、すでに応援の声が届いているのだ。のちにこれが『チャント』だと知るのだが、その声だけですでに気持ちが高揚した。今思えば、試合前のウォーミングアップを選手たちが行っている時間帯に到着したということだろう。

スタジアムに近づくにつれ、どんどんと近くなる声援。いざ到着すると、目の前には『夏フェス』が広がっていた。この表現が自分の中で一番しっくりくる。私の記憶の中にあるこの風景を例えるなら『夏フェス』が相応しい。

飲食ブースが並び、そこには行列ができている。美味しそうなテイクアウトメニューを頬張るお揃いのユニフォームを着たサポーター。心躍るBGMと、スタジアム内からやはり聞こえる声援。正直なところ、山口県のイベントで一日に3000人以上を集めるものがあるだろうか。私は司会者として、またイベントディレクターの端くれとしていろいろなイベントに携わってきたけれど、一気にこんなにたくさんの人が同じ目的で集い、楽しそうにしている姿を見たことがあっただろうか。

試合前からすでに、言葉にできない感動と、これからの可能性に胸が高鳴っていたのだから、試合が始まったらそれが二倍三倍に膨れ上がったのは言うまでもない。

残念ながらどの試合を観たのかは覚えていないのだが、レノファが勝利したことは覚えている。具体的なルールは知らずとも、シュートが入った時に自然発生する周囲とのハイタッチ。自分たちの住む街に、自分たちのサッカーチームがあることがこんなにも嬉しいことなのだと実感せざるを得ない。一言で感想を言うなら、

すっごく、楽しかった!

これに尽きる。

この時に思った。携わりたい、と。当事者になりたいと。心から思った。

当事者と謂っても、いろんな立場がある。クラブチーム内部の人、スポンサー、当日スタグルで販売する料理店、ファン、サポーター、メディア等。最初は、サポーターだった。大好きだった旅行は、Jリーグの試合がセットになった。初めて清水エスパルスのホームIAIスタジアム日本平に行った時は感無量だった。アルウィンも行かなくちゃ!と思い立ち、一人旅もした。(急遽、夫が行けなくなったので一人旅になったのだが)

それからはレノファ山口だけではなく、J1のサッカーを観戦すべく関東を中心に旅行をした。そういえば去年の今頃、サッカー2days旅行と題して、等々力で川崎フロンターレvs名古屋グランパス、翌日は日産スタジアムで横浜F・マリノスvsヴィッセル神戸を観戦した。

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この時は、一年後の5月にサッカーがない日常を送っているなんて、想像もしなかったな。今年もたくさんサッカー旅行をするはずだったし、たくさんチャレンジするつもりだった。本当、なんてこった。

・・・話は逸れたが、想いが通じたのか数々の偶然と奇跡が起こり、今現在、私はサッカーの仕事が出来ている。昔、母親が占い師に私について占ってもらったことがあるという。その時、「娘さんは運が良いですよ~」と言われたらしいのだが、この時、真っ先にそれを思い出した。うん、私は運が良い。

そこで改めてJリーグの理念を知った。

『Jリーグで地域密着・地域活性』である。

道理で。私が初めて当時の維新スタジアム(現 維新みらいふスタジアム)に行った時に感じた高揚感はこれだ、と認識した。

これはサッカーだけではなく、スポーツ全体に謂えることだと思う。お隣の広島県では広島東洋カープがそれを示している。初めてマツダスタジアムに行った時のあの観客の多さ、ファンの熱さには感動を通り越して敢えて謂うなら恐ろしいと感じたくらいだ。ほんの少し前までは「いいなぁ、山口にもあったらなぁ」と思っていたそれが、今はここにある。改めて、なんて幸せなことなんだろうと思う。

誰かの意思で、誰かの頑張りで、誰かの熱意でつくり上げられたもの。私はそれに心から感謝をし、敬意を表し、責任を持って、これからも当事者として携わっていきたい。

景色や出来ることが変わっても、どうにかしてしがみつきたい。どうにかして生かしていきたい。

村井チェアマンの言葉、Jリーグの理念、新しい挑戦。

元には戻れないなら、新しい景色を作っていこうじゃないか。

ぜひ、この村井チェアマンの動画を多くの人に観てもらいたい。





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