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ありがとうWILDBUNCHFEST.2023!

こんなに日焼けをしたのはいつぶりだろう。たぶん、コロナ前のWILDBUNCHFEST.以来だと思う。
35歳を過ぎたあたりから顔のシミが気になってきて、「なんで若い頃、日焼け止めを塗り直さなかったんだろう」って当時の夏フェスを思い出しながら何度も思ったのに。
やっぱり実際にフェスへ行くと、日焼け止めなんてどうでもいいや、となってしまうリトルトクダがまだ居たみたい(うるさい)。

2020年のパンデミックから2年間、ワイバンは行われず、ようやく再開だ!と胸を躍らせながら待ちわびた2022年は台風で3日中2日が中止。
それまで、当然のように夏を彩ってきた夏フェスが行われない夏をほぼほぼ3年経験した。

私は昔から音楽が大好きで、高校卒業後は音楽の道に進んだ。高校時代も本当はバンドやダンスがやりたかったけれど、そういう環境に身を置くことができず(正確に言えばそういった場がそもそも身近に無かった)、「山口県にいたら好きなことができない」と思った。ごめんね、山口県。ただ、その当時はそれに近かったのだから仕方ない(でも好きよ)

福岡の専門学校へ通うようになると、長崎の友達に『スカイジャンボリー』という夏フェスに行こうと誘われ、みんなで行った。夏フェス初参戦だった。というか、この世に夏フェスなるものが存在すること自体を初めて知った。それほどまでに田舎は閉ざされた空間だった(もしかしたら私が居た環境がそうだったのかもしれないが)

専門学校を卒業し、地元に帰って来てもなお夏フェスが好きだった。身近で行われるフェスと言えば広島のSET STOCK。まさかこのイベントが、のちに山口で開催されることになるなんて、ハタチの私は知る由も無かった。

そしてやってきた2013年。なんと、山口きらら博記念公園で夏フェスが行われるらしい。しかも西日本最大級らしい。は?噓でしょ?まじで?は?まじ???
歓喜だった。
確かに山口には土地はある。しかも山口きらら博記念公園は近くに海もあり最高のロケ―ションだ。行かない理由が見つからない。仕事に没頭し、休みなんて要らないと思っていた当時の私でさえ『休みをください』と申し出て、記念すべき1回目のWILDBUNCHFEST.へ行った。

山口で、地元でフェスが行われることは夢だった。
というか、音楽を楽しめる場所ができることが夢だった。
もちろん、それまでもライブハウスのような場所はあったし、通っていた。でも、私の大好きなバンドはなかなか山口には来てくれなかった。
西日本最大級の夏フェスなのだ、ワイバンは。来てくれるのだ、ワイバンに。夢が叶った瞬間だった。

そして今回、自分の為に絶対に記しておきたいことがある。
2023年のWILDBUNCHFEST.は、一部、仕事として携わることが出来たのだ。

子供の頃から、私は『好きなことを仕事にしたい』とずっと思って生きてきた。それは子供ながらに、一日8時間労働するとして、その8時間を有意義に生きたいと感じていたからだ。ただ、大人になってから数年間、自分が取り組んでいる仕事は、その当時、描いていた自分の将来像と同じかと言えば全くそうではなかった。もっと言えばいまもまだそこには到達していない。

ただ、ここ数年間は、少しずつ少しずつ、景色が変わってきているように感じていた。もちろんそうなるには死をも覚悟するほどの苦難があったが、そこはいつか、語ろうと心から思えた時に綴ろうと思う。

思えば、やりたいことや好きなことは口に出して生きてきた。
そうすれば奇跡が起こった。

高校時代にファンクラブに入るほど好きだったゴスペラーズに、地元に居ながらインタビューが出来たあの日が、その後に起こる奇跡の始まりだったように思う。
奇跡と言うと大げさかもしれないが、でもそう言う他、言葉が見つからないほどの奇跡だといまでも思う。
20代の半ばに、明治維新にハマった。高杉晋作についてFacebookなどで語りまくっていたら、幕末明治維新150年の数年前からテレビ番組を持たせてもらうことになった。
人生に鬱々としていた20代後半。夫の勧めでレノファ山口の試合を観に行くと、すぐさまレノファ山口が大好きになった。『絶対に仕事にしたい』と漠然と思っていたら、奇跡が起こって仕事になった。本当にこんな出会いがあるのかと、いまでも振り返ると鳥肌が立つレベルに奇跡だと思う。

全部、全部全部、とても大切で、心から感謝している出来事だ。
現在進行形で、どれだけ感謝してもしきれないほどに、この奇跡と、奇跡を生んでくれた出会いに感謝している。

そしてきょう、物心がついたときから何にも代えがたいほどに人生そのものである音楽の、夏フェスの仕事が出来た。

思えば、エフエム山口で仕事をさせて頂けるようになったのも、先述したレノファ山口との出会いがすべてだったし、遡れば、レノファ山口と出会えたのも、それ以前の自分の人生があったから。順風満帆とは言い難い人生が。

エフエム山口公開ラジオブース。
私は、現代の若者を虜にして止まないTani Yuukiさんと、どんなに音楽シーンが移り変わろうとも自分たちの音を鳴らし続けるOKAMOTO’Sという、一見すると対極にありそうな2つのアーティストを担当させていただいた。
これが実に面白かった。
音楽においては、私は古い人間だ。CDを買い、MDにダビングしていた世代だ。世の中に出ていくミュージシャンはほとんどラジオを通り、そこで人気に火が付いたら全国で売れる。しかし今の時代は、SNSからヒット曲が生まれる。レコード会社やプロダクションがプッシュする前に、自分で自分を世間に売り込むことができる。
Tani Yuukiさんはまさにその代表格で、2020年5月にTikTokに投稿した『Myra』で世の中の人に見つかった。そこから、聞かない日はないくらいにTaniさんの歌はそこらたしじゅうで流れている。
どうして彼の曲がいまを生きる人の心をこんなにも打つのか。それは、Taniさん自身が今の世のど真ん中を生きていて、多くの人たちが生きている中で消化できない・しきれない想いを代弁してくれているからなのだと思った。
いろんな曲を聴かせてもらって、一番に心を打ったのは10月4日デジタルリリースの『最後の魔法』。よく見る夢があるのだが、真っ先にそれを思い出した。

一方のOKAMOTO’Sは、私よりも少し、いやもっと上の世代が愛してやまないロックを、彼らの視点で彼らの感性で咀嚼し、まさに『良い音楽が世の中に溢れていた時期』を今もなお体現してくれているバンドだ。この時代に本当に貴重な存在だと思う。彼らを語るのに無駄な講釈は必要ない。とにかく、かっこよくてかっこよくてたまらない。ヘッドフォンをして、すべての音を分解して聞き分けて堪能したくなるような、凄まじい音楽を届けてくれる。だからこそ思った。音楽には流行があるし、その時代を反映するものでもある。その中で、自分たちの音楽を貫きながら世の中に訴えていきたいものとは何なのか。

公開収録の準備はとても楽しかった。音楽とは、思考を探る作業に近い。なぜなら音楽は表現だから。生まれ育ってきた背景や経験、さらには持って生まれた感性など、いろいろなものが複雑に絡まり合って、それが表に出ること、出すこと。音楽の魅力は、自分を曝け出すミュージシャンたちに共感し共鳴することで、大袈裟に言うならば『生きる理由』を得られること。私にとってはね。

Tani YuukiさんもOKAMOTO’Sも、まったく毛色の違う二組だけど、だからこそとても面白かった。これからも聴き続けるし、ライブがあったら行きまくると思う。
詳しくは公開収録の模様をエフエム山口で聴いてくださいお願いします。

何が言いたかったのかわからなくなってきたけれど、つまりは、大好きという言葉では足りないほどに人生そのものである音楽の仕事ができたこと。
『この日のことは一生忘れない』という日がまた一つ増えたこと。感謝の気持ちでいっぱいです。

明日も山口きらら博記念公園。
ちょっとばかり音楽の仕事に針が振れた日々に終止符を打って。
大好きなサッカーの現場に戻ります。

Thanks!

バタバタして写真撮る間もなく。コーデ気に入ってる。りおたTシャツを最大限に生かすコーデ考えた。



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