松本山雅歴代ユニフォームデザイン
2020シーズンはJ2を舞台に戦う松本山雅。
ホームスタジアムサンプロアルウィンは一度行ってみたいスタジアムである。
山雅サポの応援自体が見ものだ。Jリーグ参戦は2012年から。
あの松田直樹が移籍してきた2011年からユニフォームの歴史を見てみよう。
ユニフォームの変遷
2011年はまだJFL所属。
このシーズンよりアディダスがサプライヤーとなる。
テンプレートは「CONDIVO」。
JFLで4位でJ2への加入を決めた。
アディダスのテンプレート「LICENCE」を採用。
差し色はネイビーを採用。
前年同様テンプレート「LICENCE」を採用。
差し色がゴールドに。
赤アディダスが特徴の2014年シーズンは「CONDIVO14」テンプレートを使用。
しかし前面のストライプがグラデーションになっているのは市販にはない特別仕様だ。
J2で2位となり、クラブ創設初のJ1への昇格が決まった。
大きな襟とボーダーが特徴。
J1リーグ16位となり一年でのJ2降格が決まってしまう。
前田大然が加入。
J1昇格プレーオフに進出するも敗れてしまう。
メランジ柄の「TIRO17」テンプレートを使用。
昇格プレーオフ進出も逃してしまう。
前年同様「TIRO17」だが細かなボーダーが特徴のSHUTTER柄を採用。
J2優勝とJ1昇格を決めたメモリアルなユニフォーム。
初めてホワイトを大胆に取り入れたボーダー柄。
鎖骨スポンサー部分には育成サポート会員組織の「RAZUSO」は入った。
得点力不足に苦しみJ1で17位となってしまい再びJ2へ降格してしまう。
また8年間の永きに渡って指揮をした反町康治監督が退任。
クラブ創設55周年にあたり、かつアディダス社との契約も10年目を迎えた節目のシーズン。差し色はゴールドへ。
エンブレムも緑とゴールドのツートンカラー仕様となっている。
まとめ
J2参加前年より長きに渡ってadidasがサプライヤーとなっている。
また胸はEPSON表示だが、2007年から2009年がエプソンイメージングデバイス、2010年から2013年がエプソン販売、2014年から2016年はセイコーエプソンおよびエプソン販売、2017年からはセイコーエプソンとのことである。
チームカラー緑が定着している松本山雅だが、これは1991年に読売クラブ(当時)との練習試合に敗れ、「読売と同じように強いクラブになりたい」という意味を込めてチームカラーが緑となったようだ。
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