見出し画像

毎年サプライヤーが替わる日本代表

こんにちは!サッカーユニフォーム大好きのともさんです。
今回はサッカー日本代表のユニフォームの話し。
今やサッカー日本代表のユニフォームと言えばアディダスのものが当たり前ですが、昔は毎年サプライヤーが変わっていた時期があったのをご存知でしょうか?

日本サッカー協会とアディダスの契約が1999年から。
1999年から今日に至るまでをAD(after adidas)期と呼びましょうか笑
そして今回はBA(before adidas)期のことが本題となります。

ときは1992年

日本代表ユニ1

この記事をご覧ください。
サッカーマガジン(ベースボール・マガジン社)1992年12月号より
今も語り継がれる通称ドーハモデルのデザイン発表の記事です。
柱谷やラモス、元なでしこジャパン監督の高倉さんなど錚々たるメンバーが発表会に臨んでいます。
しかし、よーくみてください。
このユニフォージュにはブランドロゴがないんです。

その理由は当時日本サッカー協会は一年ごとにサプライヤーを変更する契約だったからです。
契約していたのはアディダス、プーマ、アシックスの三社。

日本代表ユニ4

当時のキリンカップのプログラムにもこのような広告?が掲載されています。

先述の「ドーハモデル」は1992年10月から1995年まで着用されたデザインです。
同じデザインでも実は毎年サプライヤーが違っていたのです。

note日本代表サプライヤー変更2

よって正確には「ドーハモデル」と呼ばれるのはプーマのユニフォームとなりますが、細かいことは良いでしょう。

さらに1992年はアディダスの担当年ですが、上記のドーハモデルデザインの発表は1992年の10月。
それまでの試合では当時のアディダスのテンプレートモデルを着用していました。

日本代表1992home2

これはこれでレアモデルと呼べますね。
ちなみにオフト監督が就任したこの年に日本代表デビューしたのが森保一現日本代表監督です。

まとめ

いかがだったでしょうか?
毎年サプライヤーが替わる日本代表ユニフォームの話でした。
日本サッカー協会とアディダスとの契約はいつまでなんでしょうね?
いろんな噂が飛び交っていますが、もしかして今後サプライヤーが変更される可能性もゼロではないと思います。
もしもナイキだったら?
もしもプーマだったら?
想像するは楽しそうですね!


#サッカーユニフォームの世界
#日本代表
#サッカー


よろしければサポートお願いします。いただいたサポートはユニフォーム関係の投資に使わせていただきます。