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常識

常識とは、「家族」「環境」「教育」「情報」によって作られたもので、それは一人ひとり違うものだけど、人間は自分の常識が所属する環境にとっては共通の認知だ。と、自分の常識をあまり疑わない。(まなざしの革命/ハナムラチカヒロ著より一部要約)

統合失調症とは、自分だけの思考が世界へ筒抜けになる妄想にかられるように、
自分と世界との境界線をうやむやにしてしまう病だと思う。

中学生になった時など、
児童が学生に変わるという社会的な自分の立ち位置が変わった時、一気に常識が変わる。
これまで通りの自分ではいけないと今までの常識を考え直す。

人生11年のうち6年間小学生として生きてきたところを、また中学生1年生としてアイデンティティを合わせていかなければならないという脅迫概念にかられる。

わたしの場合は越境した中学校だったので、なにもかも、知らない、合わせていかなければ、
時に「非常識だ」と、コミュニティから疎外されてしまうところだっただろう。
学校生活の死みたいなものだ。

自我を持っていない、足りない、中学生として自信がないわたしは、
クラスメイトや、教師から、たくさんの情報を吸収して、馴染もうとする。
影響されすぎて、自分の考えと誰かの常識との区別がつかなくなり、
頭の中の多数決では、圧倒的に吸収した常識の方へ傾いてしまい、自分の意見や考えを疎かにし始める。

自分というものがわからなくなる。

心無い「キモい」と言われた他人からの評価もあたかも自分でもそう思っているように影響される。
またその逆で、自分を追い詰めると、社会全体から追い詰められているような体験をする。
どこからが自分が思ってる自分の姿で、どこからが外から言われた自分の姿なのか区別がつかなくなる。

ここで自分がもみ消されてゆくのが、亜混迷など。自分の機能の動かし方がわからなくなることだと思う。

治療の予後で、危機を感じたわたしは「自分の姿」というものをもみ消されないように、繰り返し自分という存在を広げてゆく。周りにも当たり前に居ると認知されたいのだ。
そこで起きるのが、自分の情報が筒抜けだと感じる妄想だ、自分の情報が一気に広がる感覚になる。
とても苦しいが、これは自分が集団で消されない為にわざと広げていくのだと思う。

そうすることによって、妄想でも誰かに自分を覚えてもらうのが目的だったのかもしれない。

人間界の自然として、生きていく術だったのかもしれない。

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