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ストーリー・オブ・マイ・ライフ わたしの若草物語/性別に括られない爽やかさ、人生の愛しさ

作品との縁/1994年版について/性別ってそんなに大事?

『若草物語』に触れた記憶で一番はっきりしているのはウィノナ・ライダー主演の1994年版で、
大学時代、英米文学を専攻していた関係で、おそらく授業の一環で観たのだと思われます

女子大だったので、今思えば避けて通れない作品でもあったように感じます
社会における女性のあり方、といった類のことがよく授業で触れられることが多かったためです

作品として名作である、ということは認識していたものの、
あまり興味を唆られず

というのも、
当時の私が「個人」としての前に「女性」として自分を捉えることに居心地の悪さを少々感じていたためです

現在の私はそれをはっきり違和感として認識しているのですが、

少し掘り下げると、私にとって大事なことは、
自分が自分らしく、もしくはその人がその人らしく縛られず抑圧されていない状態であることで、
「周りと同じように」「女性らしく/男性らしく」「年相応に」のような方向の言葉が好きではありません

同じく人と接するときも、「女性として/男性として」という観点がほぼ無く、
自分が興味を唆られるのはあくまで「人間としてのその人個人」だと最近気づいたこともあり、

「女性コミュニティ」の中の一人として括られることに閉塞感を感じる人間なのだと思います

(「俳優」としてそれを求められることは話は別です
それに応えてしっかり表現することは「私個人」でなく「俳優」としての私の仕事なので、
むしろ私個人の主張によってしっかり表現できない、
というのはいち表現者としてお話にならない、と私は考えています)

代弁者 ジョー・マーチ/人間って尊い

話が大きく逸れましたが、
要するに当時は『「女性」が活躍する』とパッケージングされているものとして推奨されたものだったので、
その前提からあまり共感できなかったのでしょう

対する本作『ストーリー・オブ・〜』を観て大興奮したのは、

シアーシャ・ローナン演じるジョー・マーチが、
私が感じていた閉塞感を、これでもかと雄弁に語っていたこと

本作品をすべての人に勧めたい理由がここにあって、
マーチ家の4姉妹、もとい「たまたま女性として生まれた人々」が、
人生や社会で感じる喜びや違和感、苦しみを生々しく、且つ美しく描いており、

その描写は性別を超えた人間の営みの爽やかさ、気高さや尊さに繋がってゆく

また、それを作品から感じ取ることで、
自分自身の救済に繋がったり、自身もその尊いものの1つであることに気づかされたり

自分に正直に主張し、自分らしくあることを恐れずに謳歌する人はこんなに美しいのかと、
その背後にある葛藤や虚しさ、やるせなさを目にしてもそう思わずにはいられない


単なる『4人姉妹の物語』でなく、「あなた自身の物語」といって差し支えがない

執筆された当時もしくは1994年より、
さらに多様性がより認められてきた現代だからこそ、
いまの観点から原作の魅力が極限まで引き出され、輝きを増した作品だと感じました

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