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しおれたマリーゴールドに教えてもらった大切なこと

もよ

マンションのお掃除のおじちゃんとおばちゃんからマリーゴールドをもらったので、ベランダで育てている。

あまりお花を育てたことのない私は、育て方などよくわからず、息子といっしょにただ毎日水やりをしていた。水をあげているだけなのに、黄色やオレンジ色のお花が咲いては枯れ、またどこからともなくツボミが現れ、咲いては枯れる、を繰り返していた。水だけでこんなに成長するものなのかと感心しながら、ささやかなお花の動きを楽しんでいた。





もし私がこのベランダで、1日中マリーゴールドをじーっと見つめていたとしたら、ツボミが現れる瞬間や、お花が開く瞬間や、お花が閉じる瞬間をこの目で見ることができるのか。

それとも、1ミリよりももっと小さな単位でジリジリジリジリと変化していくから、もし目を凝らして見ていたとしてもその瞬間を見ることはできないのか。

ずっと見ていたはずなのに、いつのまにかツボミが現れていた、いつのまにか花が咲いていた、いつのまにか花が枯れていた、という感じなのか。


最近はそんなどうでもよいことをよく考えている。




そんなある日、水やりを忘れてしまったのだ。


その日は、朝少しだけ雨が降っていて洗濯物を干さなかったから、ベランダに出なかった。その後お天気が変わり、すっかり日差しの強い、猛烈に暑い日となった。

夕方にベランダに出たときに、変わり果てたマリーゴールドの姿を目にしたときは、心の奥の奥の方から「私のせいだ」と自分で自分を責める気持ちがふつふつと湧き上がってきた。



「ごめんね、ごめんね。」

心の中でそう唱えながら、急いで水をあげたけれど、こんなにしおれてしまったマリーゴールドが復活するとはどうしても思えなかった。

昨日までは、ピンッとはった、みずみずしい葉っぱが茂っていた。まるで太陽の色をもらったかのように、キレイな黄色とオレンジ色のお花を見せてくれていたのに。たった1日で、こんなことになってしまうなんて。


その日は、虫をうっかりふんでしまって殺してしまったときのような、冷蔵庫の中の野菜をうっかり腐らせてしまってゴミ箱に捨てるときのような、心地の悪さを感じながら、なんだかどんよりとした気持ちのまま、眠りについた。


そして次の朝、マリーゴールドは見事に復活していたのだ。

少し茶色くなった葉っぱは残っているものの、葉っぱがピンッとはり、新しくお花が咲き、瀕死のマリーゴールドが生きかえったことはあきらかだった。




よかった。本当によかった。
そして、本当にごめんね。
もう水やり忘れないからね。


そう心の中でつぶやいた。 


そしてふと、
「マリーゴールドは動けないんだ」
と思った。


当たり前のことだけれど、マリーゴールドはこの場所から動くことができないし、助けを呼ぶ声だって出せないのだ。水をあげる私たちがいなければ、もしくは雨が降ってこなければ、そのまま枯れて死んでしまうんだなと思った。


自然の一部として、その大きな流れの中でささやかな役割を果たし、ただ生まれたり死んでいったりする。植物や動物はその流れをただ受け入れて、「意味」なんてきっと考えず、ただ生きて、ただ死んでいく。


私だってその流れの一部だということには変わりないはずなのに、どうして人間だけが自分の意志で自由に動けるんだろう。どうして人間だけが「生きる意味」を考えてしまうんだろう。どうして人間だけが「どうにかしよう」としてしまうんだろう。


いや、人間だけが動ける自由や考える自由を手に入れていると見せかけて、本当は人間だって大きな流れに逆らうことなんてできていないのかもしれない。

それでも、今日何を食べて、何をして過ごして、誰と会って、何のテレビを見て、何時に寝るかというようなことはほとんど自分で決められるのだ。


大きなことは流れに任せて、目の前の小さなことは自分で決めて、その小さなことを楽しむ余白が人間の醍醐味なのかもしれないなと思った。





鉢植えのマリーゴールドのように、しおれてしまったときはしおれたまま静かに過ごし、水をもらったらそのおいしさを味わって、そのエネルギーで太陽に向かって花を咲かせる。


まさに、一時期本屋でよく目にした「置かれた場所で咲きなさい」という本のタイトルが頭に浮かんだ。


この場所じゃないところに今より幸せなことがあるんじゃないかと思ってしまうときもあるけれど、私は今ここにいるということは今ここにいるべきなのだ。





ふと3歳の息子をみると、まるでマリーゴールドのように、今いるまだまだ小さな世界の中でキラキラ笑っていた。


まだまだ私の力をかりないと行きたい場所に行けず、どんな場所に行きたいかという選択肢さえもゼロに近い息子。

ただ、たまたま私のお腹に宿って、そのまま私と旦那さんが住んでいた家で過ごし、その家の近くの公園やスーパーなどの小さな世界で過ごす息子を、ちょっとだけマリーゴールドに重ねた。


今いる場所で、
思いっきり楽しんでいる息子。

植木鉢の中で、水をもらえなくてしおれてしまったりしながらも、花を咲かせるマリーゴールド。


そして私も今この場所で、
できることを一生懸命やろう。
今この場所で
楽しめることを思いっきり楽しもう。


当たり前のことかもしれないけれど、浮足立っているときには忘れてしまうことだ。


大切なことを思い出すことができたのは
マリーゴールドのおかげだ。

ありがとう。
もう水やり忘れないからね。

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もよ

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