悲しむべき厚い壁

中学3年生で習う、魯迅の「故郷」という作品。
これは2学期に扱われる作品であり、
私の塾の生徒たちも熱心に読解に励んでいる。
この作品を今読むと、胸に来るものがある。
主題は「旧友を隔てた社会の構図」である。

主人公であるシュンは20年ぶりの帰郷を果たし、幼馴染のルントウと再会する。
シュンは地主の家に生まれ、
ルントウは小作人の家に生まれた。
子供のころは、ルントウのことを
「小英雄」と慕っていたシュン。
20年ぶりの再会に感極まるシュンだったが、
ルントウから開口一番に飛び出した言葉は
「旦那様!!」だった。
シュンは悲しむべき厚い壁を自覚し言葉を失う。
子どもの頃の利害関係のない友情は、
地主と小作人という上下関係に変わり果てた。

この厚い壁を、
大人になった私も感じることが何度もある。
気がつけば私は「先生」と呼ばれ、
「統括責任者」と呼ばれる立場になった。
私をいじり倒していた先輩の上司となり、
ビジネス上の敬語でしか会話がなくなった。
責任を負う立場に立った側面で、
人間関係において大きな過渡期を迎えている。
職場のムードメーカーとしての地位を確立しつつあった私は、自分の存在価値をピリついた職場にユーモアを与えることで作り上げていた。
今の私に求められることは機知に富んだジョークや朗らかな反応ではなく、彼らの働きやすさと
会社の売り上げを両立させるための
エリアのボスとしての言葉選びと決断力である。

だからこそ、勉強や読書を通して自己研鑽を続けなければならないと自覚している。
しかし時折、あの頃に戻りたいという、
すでになくなった関係性に固執してしまう。
頑張らない自分、ただ怠惰にかまけて斜に構えた方便をふるう自分をさらけ出したくなることがある。それは誰のためにもならないし、誰も守ることもできない。ただ一人、自分を除いては。
上司は孤独な立場だ。
知っていたし、覚悟を持ってこの立場を選んだ。
きっと今日も最年少のエリア社員の私には、
年上の部下からの嫉妬やうすら寒い視線が届く。

かつて学生団体でリーダーをしていた頃とは
程遠い今の責任と孤独感の先に、
私は何を見るのだろう。
右も左もわからなくても構わないが、
せめて目的地がどこなのかだけは形にしたい。
確かに僕はここにいるけれど、
確かな答えは何も見つかっていない。

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