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悪夢が終わらない

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この物語は実話です。
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2020年5月の記事一覧

昼食が唯一の楽しみ

 七月二十七日(水)田渕

 昼食に冷やし中華が出た。私の大好物だが、トマトはないし麺は固まっているしスープもぬるいしであまりおいしくなかった。こんな食事位でしか季節感を味わえないのは何だか寂しい。

長い夏休みが終わる

 七月二十八日(木)榊

 来週の月曜に退院することが決まった。昼過ぎに医者から呼び出されナースステーション行くと、担当医の本多から「培養の結果菌ももう出ていませんし、大丈夫ですね」と言われた。僕の長い夏休みは終わった。

孫のことで頭を悩ます

 七月二十九日(金)福留

 女房が見舞いに来た。「きみまろは楽しかったか」と聞くと、嫌味と勘違いしたようで、「悪かったわね、来られなくて」としおらしい顔をする。そういうつもりではなかったのだが、素直に謝られるとかえって何も言えなくなる。

 お互いしばらく黙っていると、女房が着替えの入った荷物を取り出しながら、「昨日、恵理子から電話があったんだけど」と静かに言った。

 「おう、恵理子が何だ」

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イケメンが入院してくる

 七月三十日(土)砂原

 午後、向かいの部屋に新たな入院患者が来た。病室前の名札には「野田涼祐」と書いてあり、なかなかのイケメンだった。しかしあんなイケメンでも結核になるのかと思うと心強かった。廊下ですれ違った時に挨拶すると、かすかに香水の匂いがした。

 夕食後、どこからかギターの音色が聞こえ、僕はふらふらと病室を出た。音を辿って階段を上ると、屋上のベンチで野田君がギターを弾いていた。格好いい

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イボ痔の手術を手伝う

 七月三十一日(日)田渕

 またまた妙な夢を見た。

 私はナースステーションの前に立っていた。これから起こる出来事を、私は知っている。ドアを開けると部屋の中は空だった。

 不思議と恐怖感はなかった。イスに座り、誰かが来るのを待っていると、後ろから聞き覚えのある声がした。振り返ると、大野とかいう看護師が息を切らし、張り詰めた顔で私を見ていた。

 「田渕さん、ここにいたんですか」

 「ええ、

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クズにも妻はいる

 八月一日(月)榊

 朝食を食べ終わる頃、妻がやって来た。今日でこの二ヶ月過ごした病室とお別れか思うと、不思議な気分になった。「榊さんがいなくなると寂しいですね」と砂原君が言うので、「僕も寂しいけど、二度と来ないよ」と答えた。

 そうは言ったものの、しばらくは検診に来なくてはならないのだ。もう有給もないのにわざわざ平日の午前に会社を休み、車でここまで来なくてはならない面倒は考えると気が重かった

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孫に説教する

 八月二日(火)福留

 孫の話で再三女房にせっつかれ、恵理子のところへ電話をかけた。久しぶりに聞く娘の声は疲れているようで、見舞いに来ないことへの嫌味を言う気も失せ、すぐに裕太に替わってもらった。

 「もしもし」

 こちらの声は以前と変わらぬ、屈託のない声だった。引きしめていた顔が思わず緩む。

 「もしもし、裕太か」

 「うん。おじいちゃん、お見舞い行けなくてごめんね」

 顔がゆるむど

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新キャラ現る

 八月三日(水)砂原
 
 榊さんのいたベッドに、三階の病室から大沢さんという人が移ってきた。年はたぶん榊さんと同じ位で、一見強面だが荷物を運ぶのを手伝うと柿ピーをくれた。

 風呂でも一緒になったのだが、大沢さんは脱いだらすごい体をしていた。運動選手かと思ったが「違うよ」と一言。もしかして暴力を振るうのが仕事なのだろうか。背中に絵は描いていなかったが、そうだったら怖くて口を利けなくなるので聞くの

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副作用はこわい

 八月四日(木)田渕

 結核の薬を飲むことで現れる副作用がいくつかあるのだが、私は薬を飲み始めてから、尿酸値が通常より高くなっているらしい。このまま数値が上がりすぎると通風になる恐れがあるので、尿酸値を下げる「ザイロリック」とかいう薬を朝夜食後に飲んでいる。しかしついたまに服用を忘れてしまうこともあり、尿酸値は依然高いままだと医者に言われた。そのことを病室で話すと、「仲間ですね」と同じ薬を飲んで

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笑みを浮かべた双子が廊下に立っている

 八月五日(金)大沢

 僕が三階の病室にいた頃、向かいの部屋にとてもよく雰囲気が似ている老人たちがいた。彼らはよく廊下の突き当たりにあるイスに向かい合って座り、そろって窓の外を眺めていた。会話している姿を見たことはなかったが、本当の兄弟のようで、僕は何となく好きだった。

 しかしある日、彼らはそろって退院してしまった。
 
 と、思っていたのは勘違いで、二人ともまだ病院にいた。二階の廊下で兄の

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伝染する夢

 八月六日(土)野田

 夢の中で僕はヤクザの事務所にいた。そこがヤクザの事務所だと分かったのは僕の周りをヤクザが取り囲んでいたからだ。彼らは黒いスーツや派手な柄のシャツを着て、品のない笑みを浮かべていた。僕はイスに座らされ、後ろ手に縄で縛られていた。

 どうやら僕は監禁されているようだった。監禁され、自分の顔が元々どの位の大きさだったか分からないほど殴られている。

 なぜ自分がヤクザに監禁さ

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十九歳で通風になる

 八月七日(日)砂原

 朝目がさめると左の肘がじんじんと痛かった。まるで自分がブリキのおもちゃになり、関節が錆びて嫌な音を立てているようだった。寝違えたのかなと思ったが角度を変えても痛い。

 朝食を食べ、歯を磨こうと洗面所へ向かう途中、今度は両膝に違和感を覚えた。歩こうと足を前に出すたびに膝が軋む。そこで初めて、もしかしたらこれは痛風ではないかと思った。

 結核の薬の副作用により、尿酸値が上

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