「普通」への囚われ

僕は精神科のお医者さんなので、僕のところにも「普通になりたいんです」、「この子には普通の子になって欲しいんです」そんな悩みを持った人が多くくる。

でもそもそも「普通」ってなんだろうか。

多くの「普通」は多分多数派が作った基準で、なんとなくそうしといた方が目立たず安心、というあたりのことなのだと思う。

でも全てが多数派に属してて、標準な人なんて本当にいるのだろうか。

すごく完璧に見える人だって家では裸で過ごしているかもしれないし、めちゃくちゃ足が遅いかもしれない。

僕なんかは心臓の病気で小さい頃から薬を飲んでるから、そしたら僕は「普通じゃない」のかもしれない。でもそんなこと街中でわかる人は少なくて、きっとすれ違う人は僕を「普通」だと思うだろう。

誰が普通で、誰が普通じゃないかなんて側からはわからないし、他人が決めつけることなんてできやしない。

そもそも誰が作ったかもわからない「普通」に気を使う必要はないし、勝手に期待して、そうあるべきを押し付けてくるような人の「べき思考」に染まる必要もない。

だって、生まれてくる時にはそんなルール習わなかったでしょう?


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