余裕

余裕の無い人生を送りすぎて、余裕がありそうな大人を見ると嫉妬してしまう、余裕が無いから嫉妬してしまうダメなスパイラル、ニワトリタマゴ問題を引き起こしてしまう。どこで間違ったのか過去を思い出してみました。

産まれは関西と東海の狭間、いわゆる関西弁を使っても良いの定かではない、三重の津だった。地域性は曖昧でも、関西弁が公用語なので、「自分は関西の人間だ」というアイデンティティを持って生きてきたつもりです。それでも「所謂」関西の人には「いや、三重は名古屋やろ!笑」と言われてました。

思えば劣等感を覚え始めるという土台はそういうところなのかも知れません。笑 大学生になってから調べてみると、行政区分で考えれば「東海」、言語学から考えると「関西」らしいです。ディテールは分かりませんが、曖昧すぎますね、まるで週に2回の晩酌みたいです。

高校生ながら、こんな曖昧な地域からは出ないといけないと、大学は大阪大学を志望していました。大阪大学に行ければ、関西人のレッテルが貰えるような気がしたのです。高校2年生から受験生。家柄元々頭が良くなかったので、「高2の夏が比叡山」というコピーを鵜呑みにしていました。

迎えた春、僕は立命館大学の工学部に入学しました。大阪大学の前期、三重大学の後期にも引っかかりませんでした。立命の工学部は滋賀県の草津にある「びわこ・くさつキャンパス」が主な主戦場です。ここまで読んでくれたみなさんに聞きたい、「滋賀県は関西なのでしょうか?」

大学4回生、人生に諦めかけた僕はBKCを卒業し、大阪のいわゆる中小企業に就職しました。 やっと「関西人になれる」「エセ関西弁笑」と言われない人生が始まりました。

始まりませんでした。自分よりも知らない大学を卒業した同期から飲み会の度に「BKCやん笑」と言われ、思い描いていた関西人生は終わりました。そこから同期とも自ら疎遠になり、神戸出身の先輩から、何もかもを教わりました。

「余裕が無くても余裕があるように見せろ、余裕が無い人は傍から見て(余裕が無い人や、あんなんあかん)思われる」。 余裕、無かったな。 余裕ってどう見せるんやろ思うても、これまで余裕が無い人生ばっか送って、分かりませんでした。

来年から立命の工学部、大阪の「茨木」キャンパスに移動する話を聞きました。茨木とはいえ、大阪に行ける後輩がいるのかと、感慨深くなってしまいました。今は前職を辞めて和歌山の田舎に移住しました。自足自給ができる環境で余裕をもって暮らしています。

田舎特有の人付き合いでしんどい時もありますが、ある程度だけでも自分のままでいることの大切さを、この歳になってはじめて知りました。今なら先輩が言ってた「余裕を見せる」ことの大切さがわかる気がします。余裕ってありのままなんですよね。

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