古本と雑談する

コロナ禍で急増した出費として、書籍代が挙げられる。

2020年、2021年と
①コロナ禍での在宅勤務時間の増大により自宅の蔵書拡大を迫られたこと
②自分なりに経済を回そうという謎の使命感
が相まって、各年、書籍代だけで●百万円を使ってしまった(②の使命感ゆえに、絶版本以外は新品を購入)。

流石に出費がかさんできたので、今年は、本を買うことを少し控え、極力図書館等を利用しようと決意したわけである。

それがどうしたことか、素敵な本との出会いはとどまることを知らず、買い控えなどとてもできない状況なのだ。どうやら私は、一つ一つの出会いを大切にできる、心優しい人間らしい。

(これには、私が本を読むときには、線・マーカーを引いたり、メモを書き込みながら読み進めないと気がすまない、ページをめくる手も進まないということが多いに影響している。)

そのため、大変心苦しいものの、新刊は新品で、中古で買える本については、極力中古で買うというスタイルを取ることとなった(それでもおそらく、今年もそれなりの書籍代となることが既に確定している。)。

古本には、古本の良さがある。

まず、絶版本の場合、●●株式会社の法務部だったり、●●地方裁判所だったりの除籍本と巡り合うことがある。

良書なのになぜ・・・(書庫が一杯になったのか、はたまた、書籍に対して理解のない責任者が赴任してきて、こんな埃を被った本はいらん!と処分を命じたのか・・・)という思いがよぎり、死線をくぐり抜けてきたであろう本との対話を愉しむのである。

「いい本なのに、古本に出されちゃったんだね」
「そうなんだよ。俺を手放すなんて本を見る目がないよ全く。」
「随分と色が褪せてるけど、窓際に置かれていたの?」
「西日が強くてね。空調も●時で止まるもんだから、夏は地獄だったよ。」

また、本の前の所有者が引いたであろう、線やマーカーの跡を目にするのも、趣きがある。

前半は凄く沢山の線が引かれているのに、突如として、それ以降のページが綺麗になったり(序盤に飛ばしすぎたのか、カチンとくる記載があって読むのをやめてしまったのか、はたまた、ある日目覚めたらスキミング能力が身について線など引く必要がなくなったのか)、今まで目にしたことのないような記号が書かれていたり(きっと洞窟やらなにやらで古代文明が残した文字を見つけた考古学者も同じ興奮を覚えたのだろう)・・・

「この記号ってどういう意味で使われてたのかわかる?」
「私も疑問に思ってたけど、わからない。」
「君にもわからないことがあるんだね。驚きだ。僕の知りたいことはなんでも書いてあるからさ。」

リモートワーク中心のため、電話・ウェブ会議の導入でするような雑談以外に他愛もない雑談をする機会が減っているため、古本との雑談が多いに捗るのである。

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