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私と外来語

幼き頃、初めて何を喋ったという事はしばしば親が出す話題の一つである。
私は母曰くappleだったそうだ。母の発音をそのまま真似をすればあぽーである、きっとなんでもないおしゃべりの練習の中の一つであろう、その中のそれらしき言葉を拾いきっとこの子は英語の才能があると、通えるギリギリの年齢で公文式に行かせた母の思い込みの強さと思い切りの良さは素晴らしいものである。

小学五年の頃家から自転車で5分の距離にあった英語塾、独特な雰囲気を持つ女性の先生、しかし、知らないことをたくさん知っていて、間違えを間違えと正すのではなく前向きに訂正してくれる、ダメなことはダメとしっかり怒ってくれる素敵な先生だった。

それからというもの英語というのは私の中で沢山の出会いをくれた。幼稚園の頃外部講師として来ていただいていた、アイスランドの優しくて大きな牧師さんを始め、英語に触れることは少なくなかった。それでもはっきりと自我を持ち生きる中、外国の人と話せるツールを得た私は上機嫌であった、中学三年間も塾に通いメキメキと会話力を鍛え、多少の会話であれば普通に話すことができた。

挫けたのは高校生に入ってからだ。
入学した進学クラス、来る日も来る日も受験のための英語の授業、単語文法接続詞。これを勉強していて果たして外国人と話すことができるのかと疑問しか浮かばなかった。いや、言い換えよう楽しくなかった、こんなことをしていてなんの意味があるのかと絶望した。一時は通訳の仕事を考えた私、英語の魅力に取り憑かれていた私を諦めさせるには十分の授業だった。出会い、教育者、環境というものは何より重要だと今になってわかる。

社会人になり、英語など関わることがないと思っていたが、想像よりも遥かに海外からの旅行者と触れ合うことが多いことに気づく。
楽しくて楽しくて仕方がなかった。

とあるときに言われた、相手の英語力を図るため枕詞に使われることの多い、Can you speak English?  普段通り私はA littleと何気なく答え接客へ進む。世間話やおすすめを聞かれ得意分野であったためテンションが上りつつ、何食わぬ顔で持ち札を全力で出していく、別れ際、お互いに別れを告げると、思い出したように一言添えられる。

「あなたの英語はa littleではないから、I canって答えたほうがいいよ、下手な謙遜は失礼だよ」

笑いながら添えられた言葉に、なんともいえない感情が渦巻いて涙腺が緩む。やっぱり英語が好きだなあと再認識できた瞬間だった。

好きなものを好きになれないことはきっとこの先もあるだろう、その分改めてそれが好きになれたとき、きっとたくさんの幸せを改めて感じることができるのだろうと思った一瞬でした。

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何が言いたかったのかはわかりません

それでは

草々不一

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